「ここは何ってとこ?」と三男が訊く。イギリス海岸っていうんだよと答えると、え、イギリスなの? という。イギリスではなく、イワテである。
「海岸」といえど、むろん海はない。花巻市内の北上川河畔。白い泥岩が露出しているさまを見て、ドーバー海岸のようだと宮沢賢治が名づけたという。いまや花巻の観光は「賢治産業」で支えられているようだが、その手の施設は、まあどちらでもよい。ここが好ましいのは、そうした人の手が届ききっていないところだ。
砂利敷きの駐車場と、簡単な散策路が整備されている。数枚の案内板と、ボランティアのひとが展示するパネル数葉。それ以外に観光地らしいものは何もない。畑があり、花が植えられている。草刈りされた土手に、なんという名かわからないが、黄色いアブラナ科らしい植物がたくさん生えて、よく香る。
だだっ広い。真ん中を川が流れ、土手の斜面や河原にはオニグルミやシロヤナギが河畔林をなす。木々は風に揺れている。夏の夜にここへ来て空をながめたら、きっとすばらしいだろう。
大人がぼんやり川をながめているあいだ、子どもたちは熱心に石を川に向かって投げていた。川とみれば石を投げるのは、どんな子どもにも共通する習性である。石をどれだけ遠くへ投げられるかを競っていたが、そのうち水切りを始めた。投げた石を水面でスキップさせる、あれである。
初めのうち、スキップに成功する確率は、2-3投に1回くらい。スキップの回数はせいぜい2回。それが、やっているうちに成功の確率があがり、やがて8割くらいまでになった。スキップの回数も増える。最高は長男の8回。このときは、かなり遠方まで、跳ねながら水面をすべるように飛んでいった。
そのうち、《あ》もぼくもくわわって、一家で石を投げだした。地質のせいか、河原にはひらたい石がたくさん転がっているので、不自由しない。
川の流れの上流に向けて投げると、スキップした石がおもわぬ方向へ曲がる。それをうまく利用すると、水面から顔をだした石を巻くようにして向こう側まで石を飛ばすことができる。逆に、下流に向けて投げると、到達距離が伸びる傾向にある。
よその親子がやってきて、同じように水切りを始める。そちらのほうが、ずっとうまかったりする。気がつくと、その親子は姿を消し、いつのまにか別の親子に入れ替わっている。そんなことが、数回くりかえされた。
長男は、ひらたくて丸い石がベストだが、少し大きくて重いほうが遠くへ飛ばしやすいことがわかったという。近くでスキップさせるのなら、小さくて軽いものでもいいらしい。かれは持ち方も研究しており、指のかけ方と手首のつかい方をコントロールして、うまく水平方向にスピンをかけるように投げる。熱心に教えてくれるのだが、なかなかそのとおりには投げられない。たまに、うまくできると、ほめてくれる。
そうして、2時間ばかりひたすら石を投げつづけた。子どもたちは、もう当分のあいだ、イギリス海岸では、水切りに適した石を見つけるのはむずかしいだろうと、意気揚々として引きあげたのだった。