メディア系列10周年

ぼくが明学に着任してからまる10年がすぎた。それはつまり、芸術学科に芸術メディア系列が新設されて10周年ということでもある。

この間、学内外ではさまざまなことがあった。そんななかで、よくここまでやってこられたなというのが率直な気持ちだ。

知っているひとは知っているとおもうが、美術史や音楽学や映画学などとは異なり、「芸術メディア」という領域などどこにも存在しない。むろん学問分野やディシプリンとしても、そんなものは存在しない。それは、いくつかの異質なものを束ねておくためのラベルにすぎない。それゆえ、右も左もわからないまま着任したぼくがじぶん自身に課すべきミッションは明瞭だった。ここに実体を吹き込むこと、それ以外にはなかった。

そこでぼくは、異質なものを束ねる軸もしくは基盤として、メディア論を捉えなおそうと考えた。この10年間一貫してここで追求してきたのは、さまざまな要素を包摂しつつ、メディア論的思考を学ぶ場をつくるということだった。

ただし「メディア論」といっても、ぼくの考えるそれは世の大半が想像するようなものとはおそらくだいぶ(もしかするとまったく)違う(ぼく自身は「王道」のつもりなのだが)。違うからこそ、上述のようなことが可能だったのだ。だから、口はばったいことを言うようだけど、それは他で容易に真似できるものではない。そんな先見の明がいまの日本の大学業界にどれほどあるのかはともかく。

じっさい、ほかの大学でも芸術とメディアを標榜するようなところがちらほら見受けられるようになってきた。だが、いくら看板が似ていたとしても、内容的に競合するようなところはほぼ皆無である。少なくとも独自の地歩はある程度固めることができたといえるのではないか。ささやかだけれど、ぼくはそう自負している。

それもこれも先生方や学生たちに恵まれたおかげです、——というと、あまりに紋切り型すぎる定型的言い回しになるので信じてもらえないかもしれないけど、実際そうなのだ。

最初は教員2名、学生三十数名で始まったメディア系列は、いまでは1年次末の系列選択の時点で学年のじつに半数が希望するほど人気がある。それではさすがに教育が成り立たないので定員制を導入せざるをえず、結果として希望者全員を入れてあげられない状況がつづいている。

この間メディア系列で学び卒業していった学生たちは累計何人になるだろうか。ひとりひとりよく覚えている。卒業してゆくとき、あるいは卒業してから、ここで勉強したことはほんとうに大事なことだったと言ってくれたりするのを聞くと、やっててよかったなと心底おもう。

それは同時に、かれらのようなひとたちと深く接することができたという点で、この10年間がぼく自身にとってもきわめて得難い時間であり貴重な経験であったことも意味している。もしこの間ぼくにも幾ばくかの成長があったのだとしたら、それはかれらに触発され、促され、教えられたからにほかならない。

これからどうなっていくのか。それはまだわからない。あまり先のことまで細かく計画しはじめたりすると、とたんに窮屈になって愉しくなくなる。だからそれは未来へひらかれているとだけ、いまは言っておきたい。