もろもろあって、なかなか映画館に行けない日が続いていた。むろん古い作品ならDVDやビデオでいつでも観ることはできる。最新作も半年待てばいい。だがやっぱり、できることなら、小さくてもいいので映画館で観たい。映画館に行けないような人生は、ぼくの人生ではない。無理やりでも、もっと映画館に足を向けるのだ。
──てなわけで、さほどよく観ているわけではないのだが、最近観たなかから印象に残ったもの3本を簡単に。作品の概要やらストーリーやらは公式サイトなどでご確認を。なお、いうまでもなく、この3本は相互になんの関係もなし。
(1)『かつて、ノルマンディーで』
フランス人著名ドキュメンタリスト、ニコラ・フィリベールの新作(2007年)。かつて自身が助監督として参加した作品では、撮影地ノルマンディーの農家のひとびとが「俳優」として出演した。30年たってその「俳優」たちを再訪し、かれらの当時の経験と、その後の人生とをふりかえる。
「俳優」たちがカメラに向かって語る。海からの風にテーブルクロスがめくれあがる。髪がバサバサとみだれ、背後の空にどんよりした雲が表情を少しずつ変えていったりする。そうしたさまを、画面の端でとらえてゆく。
全体として、私小説に似ている。フィリベールははっきりとひとりの「作者」としてこの作品全体を統べている。作品は、強力ではないかもしれないが、明確にドラマツルギーに貫かれている。観客は、監督をしてこの作品を撮ることを決断させた動機、あるいはこの作品を撮ることによって監督が知ることになった「事後的な」動機を最終的に知らされることになる。
その「動機」は、しかし正直いって、やや失望を禁じえないような凡庸な──無意味だというのではない──ものなのだが、むしろそうした単一の意味に回収されるのを作品自身が拒むかのように、映像は静かにして雄弁である。そのあたりがドキュメンタリーのおもしろさかもしれない。ぼくは最近、海外のドキュメンタリー映画にはまりつつある。
この作品は、フィリベール特集という企画の一環として公開されたようだが、たいへんよい企画である。5月末から京都で上映だとのこと。
なお、本作品で参照軸となる30年前のルネ・アリオ監督の映画は、フーコーの『ピエール・リヴィエールの犯罪』を原作にした作品なのだそうだ(ぼくは未見)。本作品の冒頭で、河出から出ている邦訳書の装幀がちらりと映る。
(2)『うた魂(たま)』
柳の下のドジョウも何匹目かという作品である。ジャズやフラのあとだから、こんどは合唱、というしだいだ。一言でいえば、「貧相」。その貧しさは、90年代以降テレビ局など大手マスコミと代理店主導でつくられるようになってきた日本映画が共有する貧しさである(本作品の製作は、日活・文化放送・朝日新聞)。観客はそれなりに入っていた。それがまた貧しい。
設定も人物造型もプロットも台詞も選曲も、みな教科書どおり見事に類型的で、まったくといっていいほど展開がない。薬師丸さんも残念だが中途半端だった。あんな古典的な不良、いまでも棲息しているのかなあ。北海道の函館付近が設定上の舞台だが、画面に映る風景は、どう見ても北海道のそれでないことが多い(たとえば校舎屋上、主人公の自宅周辺など)。頼みは、うたうことの力だけ。貧しい。
そんなわけで、いかにも今日的な貧しい作品なのだが、貧しいなりに、ぼくは嫌いではない。主人公の自己チューぶりを演じる夏帆もよかった。
(3)『相棒』
これもテレビ局映画。貧しいのに変わりはない。ただ、それなりに映画にはなっており、佳作とよんでよい。
「映画になっている」のは、何もテレビドラマ版にくらべて大がかりで派手なシーンが入っているから、という意味ではない。脚本がまずまずよく練られているからだ。別言すると、しつこい。この種の作劇上のしつこさは物語で見せる映画には必須である。にもかかわらず、70年代以降の日本映画でこれにお目にかかるのは、じつに稀。テレビドラマ派生の刑事物映画はあまたあるが、そのなかで本作品が(めずらしくも)成功しているのだとすれば、その最大の要因は脚本にある。ただ、物語上の論理の焦点が終盤にかけて少しずつズレてゆき、安手のカタルシスに落ちそうになるのは惜しい。
物語の軸に据えられるのは、テロ集団による在外日本人拉致事件だ。2004年にイラクでおきた事件、およびそれにたいする日本のマスコミ・ネットでのバッシングのことを誰しも連想するだろう。もしかすると、これってテレ朝と小学館による(無意識の)贖罪ということなのかもしれない。なんにせよ、フジではありえないことではある。
ぽっかり空いた時間に観た。いかにも定年退職しましたという感じのシニア夫婦の観客が多かった。音声がときどき乱れたのが残念。パンフレットの仕掛けも中高年の客層を視野に入れたものか。
そういえば、和泉聖治の映画で最初に観たのは、『オン・ザ・ロード』だった。いまはどうか知らないが、当時は名古屋ではたいてい2本だて。併映は、たしか大林宣彦の『転校生』だったような気がする。