昨日の続き。
秋葉原無差別殺人事件(と一般にはよばれているのかな)そのものというより、その言説について。この事件について、ぼくは公式に発言したことはない。なんだか誰も彼もが何かを言いたがる。つむじ曲がりとしては、当然そこから距離を置くべきだろうからだ。
それら言説をながめていると、ひとつの疑問が湧いてくる。近年立て続けにおこった一般市民による無差別殺人事件のなかで、なぜこの事件だけが、こうまで事件の発生した街に結びつけて語られなければならないのか。
秋葉原の事件と前後して、土浦でも八王子でも渋谷でも大阪市浪速区でも、無差別殺人事件は発生している。にもかかわらず、それら事件にかんする言説には事件の発生した土地と関連づける発想はほとんど見られない。そもそも言説の量が桁違いだ。秋葉原の事件のほうは、なにしろ論集まで出版される始末なのだから。あの事件には、これほどまでに特権的な地位を占める資格があるというのだろうか。
さらに理解に苦しむのは、そうした言説のなかで引きあいに出される「秋葉原」において「オタクの聖地」という側面ばかりが強調されることである。ぼくは秋葉原という街について、直接にはこの二十年くらいの変遷を知っているにすぎないのだが、その実感からすると、これらの議論の前提にはかなり偏りがあるといわざるをえない。
秋葉原に降り立てば、たしかにオタク系の商品やサービスを扱う店がそこかしこに見られる。駅周辺は再開発が進み、ガラス張りの高層ビルやらヨドバシカメラの巨大店舗やらが屹立している。なるほどそれは、ハイテクと劣情と支配欲とがはばかりなく結託したオタク文化の爛熟するポストモダン都市の風景に見えなくもない。
だが、そんな言葉は一種のキャッチフレーズだ。どれだけ反復したところで、けっして秋葉原という街それ自体の理解には到達しえないだろう。仮初めのハリボテ、ひとつの観念にすぎないのだ。
一歩路地へ入ってみるがいい。そこに見出されるのは、再開発以前と変わらぬ「場末」感ただよう(あえてこう表現するのだが)、うらぶれた光景の無秩序なつぎはぎである。ジャンク屋やバッタ屋、どんな仕事をしているのかにわかに判別しがたい小事務所、安価に胃袋をふくらますことだけに特化したようなファストフード店などが、昭和30年代にはすでに古びていたような2-3階建てのビルに押し込まれるようにしてならび、くすんだ色彩の街を形成している。人並みはあるが、活気溢れるというより、たんにだらだら混雑しているだけという趣であり、道路際を歩けば小便くさい匂いが鼻を突く。──ちなみに当該事件の容疑者がさいごに逮捕されたあたりも、そうした気分のただよう一角である。
戦後の闇市の流れを色濃く残したこうした猥雑で周縁的な空気こそが秋葉原という土地の霊(=地霊:ゲニウスロキ)を浸しているのであり、それはあの街を訪れる者たちに、それとはっきり意識されることはなくとも確実に作用しているはずだ。
だから、あの事件を語るとき、「オタクの聖地」としての「秋葉原」と結びつけたがる傾向が過剰に強いのだとしたら、むしろなぜそのような枠組みでのみ、ある種のひとびとはあの事件を語りたがるのかという問題もまた分析されなければならないだろう。