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中村勝哉さん「お別れの会」(1)

2月2日午後、神楽坂にある出版クラブ会館で、中村勝哉さんの「お別れの会」がひらかれた。

中村勝哉さんは晶文社の創業者にして社長、昨年11月に逝去された。享年73。ぼくは1990年から95年まで、晶文社編集部に在籍した。それ以前は、大学院で園芸学を勉強しており、将来は果樹の研究者になるのかなとおもっていた。出版については、経験はもちろん素養も縁故も伝手もなにも持ちあわせておらず、常識的に考えれば、人文書編集部員の補充採用において、まったく考慮に値しないような若造だった。だからぼくが編集者になることができたのは、中村さん──と社内のだれもがよんでいた──が拾ってくださったおかげにほかならない。

献花のほかは、儀式めいたことはなにもおこなわれなかった。会場を埋め尽さんばかりに集まった大勢が、遺影の前で談笑し、故人をしのぶ。壇上にシーバスリーガルのボトルとグラス、麻雀パイのセットが飾られていた。「あとゴルフ・クラブがあれば完璧だなあ!」とだれかが笑った。けっして湿っぽくなることなく、からりと明るい、気持ちのよい会だった。こういう会は、たしかに故人に似るのかもしれない。

役員だった津野海太郎さん・長田弘さんを別とすれば、ぼくが入社したときの編集部は、島崎勉さん、原浩子さん、松原明美さん、大瀧陽美さん、須貝理恵子さん、あぜ津真砂子さん(アゼの字は田+壽)という陣容だった。一年後に、三鬼晴子さんと小尾章子さんがくわわった。小さな会社だったことも手伝って、当時の編集部ではしばしば、部内を「家族」になぞらえて語ったものだった。島崎さんと原さんの両親に、四人の利発で元気な姉たち、そしてぼくも含めた三人が末っ子、という扱いだった(むろん半ば冗談である)。いまも晶文社で活躍しておられる島崎さんを含め、そのときの「家族」のほとんどと、ここで再会することができた。「姉」さんたちは、あいかわらず大きな声でよくしゃべり、しっかりとした足どりで歩き、周囲にさりげなく気を配り、冗談をいい、あっけらかんと笑う。十余年の時間が一気に圧縮され、まるで仕事のあとみんなで食事にでかけたときのようだった。

(つづく)