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2010-04 Archive

すべてがネタになる

事業仕分けのネット中継が話題である。動画中継も大規模におこなわれるようになったものの、あらためて思ったのは、Twitterが実況にいかに向いているか、である。これでキャノンボールみたいなことをやったら、さぞ面白かろう。

ところで、こうしたネット活用は、しばしばネット民主主義と結びつけられて語られる。もとより「パソコン文化論」は伝統的に、「草の根民主主義」の神話を共有してきた。電子テクノロジーによって実現する、対等な個人による討論の場──いわゆるデジタル公共圏である。「ネット論壇」などという言い方も、このような発想の上に成立している。

たしかに、事業仕分けのネット中継などをみていても、そこにネット民主主義的を夢みたくなるような何かしらの芽が含まれていると、感じられないでもない。そしてそのことを感じとった既存のマスコミはジャーナリズムの既得権益をおかされるように受けとるだろうから、これを叩いたり、あるいは逆にすり寄ったり持ちあげたりもするだろう。だからそれらとは一線を画したところで、ネット民主主義的可能性を批判しつつ擁護することは、おそらく重要なのだ。

しかし、それと同じくらい重要なのは、たとえば事業仕分けネット中継にたいして、ぼくたちが「実際のところ」どんなふうに接していたかをあらためて見つめてみることだ。

なぜぼくたちがあの中継を眺めていたかといえば、ようするに、面白かったからだろう。一部の生真面目な層はともかく、全体としてみれば、事業仕分けは「娯楽」として見られ、語られてきたはずだ。「娯楽」で語弊があるのなら「ネタ」といったほうが適切かもしれない。

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WordPressへの移行

このたび「散歩の思考」はWordPressに移行した。おかげさまで、つい今しがた、すべての問題点が解決し、無事に移行作業が完了したところである。記念にWPから初投稿。

開設以来MovableTypeで運用しており、それはそれで満足していたのだが、いろいろあって、移行を決意。それからの2週間というもの、もうずっとこれにかかりきりだった。この間WPをつごう4回(4つ)インストールし、1回削除した。この機会に、ついでにサーバも引越した。

移行の手順や途中でつまづいた箇所などは、後日まとめてあげておくつもり。


デジタルストーリーテリング作品公開

2009年度の芸術メディア論演習で学生がつくったデジタルストーリーテリングの作品が公開されました。いつものように、明学・芸術学科のウェブサイトのなかに特設ページをつくってあげてあります。2009年度デジタルストーリーテリング作品一覧へ。

同じく2009年度の夏期集中の特別演習として実施したワークショップ「なぜ働くか」の記録も公開します。これは芸術メディア系列の学生は必修の演習で、60名近い受講者が参加しました。そのようすを学生4名が取材して、テキスト・写真・ムービーを組みあわせ、ドキュメントとしてウェブサイトにまとめました。こちらから当該ページへ飛べます。

これらを含めて、授業での活動のようすは、その一部を明学・芸術学科ウェブサイトStudent Galleryにてごらんいただけます。


やりませんか?

テレビ番組の制作プロダクションをやっているというひとがやってきた。デジタルストーリーテリングに興味があるので教えてほしいということで、前に一度だけ会ったことがある。今度はなんの用事かとおもったら、こう言うのだ。

「デジタルストーリーテリングの共同研究をやりませんか?」

教育工学やデジタルアーカイヴ系の研究者と組んで、デジタルストーリーテリングのノウハウを確立して広めたいという(かれは「技術」という言葉をつかった)。そしてコーディネーターはかれ自身がやるのだという。

即刻お断りした。

こういうときにいつもおもうのは、相手に悟られぬよう、けれどもきっぱりお断りするエレガントな術を身につけていればどんなにいいだろうということだ。しかしそんな便利な持ちあわせはなく、かといって中途半端に曖昧なことをいうのも性に合わない。変に期待をもたせるのもお互いにとって不幸の素だ。だから、申しわけないのだけれども、ストレートにはっきりものをいう。

お断りする理由は、あらゆることだといってもいい。

まずそういうことなら、ぼくはすでに何年も前にメルプロジェクトでさんざんやった。その経験を踏まえて今は少し違うフェイズに移行している。現時点で共同研究を立ちあげたところで、こちらの利得が不明である。かれ自身に学際的共同研究のような難しいプロジェクトをとりまとめる能力があるのかどうかもわからない。共同研究の相手とやらにぼくは会ったこともない。助成を受けることにともなって発生する厖大な事務を誰がどう処理していくか、その体制についてなんら考慮されていない。そもそもプロジェクトなのに目標が不明朗だ。かれはしきりに海外事例のリサーチ(テレビ屋さん的にいうリサーチだから、ようは「見学」のことだ)の必要性をいうのだが、そんな脱亜入欧的というか、キャッチアップ式の発想は、はっきりいって時代遅れである。そのくせ、ぼくのところで何年もやってきたデジタルストーリーテリングの実践蓄積については(そこにはそれこそ厖大な「ノウハウ」が埋まっている、もっともノウハウだけじゃ全然ダメなのだが)、さして「リサーチ」した形跡はない。

ただし、こうした個別の事柄をかき集めて検討し、お断りしたのだというと、ちょっと違う。論点を整理すれば上のようになるのであって、それに先だつ直観があった。早い話、どうやら筋が悪いぞ、と直観したのが最初なのだ。

話を聞いていくうち、その直観が的外れではないことがはっきりした。すなわち、かれの真意は、財団から助成金を引きだすことにあった。そのお金で、海外事例の見学(「リサーチ」といってあげてもいいのだけど)に行きたいのである。身も蓋もない言い方をすれば、共同研究の話はそのダシ、なのだ。

むろんそのテレビのひとの言動は悪意があってのものではなさそうではある。デジタルストーリーテリングに関心があるのは本当だろうし、バークレーにあるデジタルストーリーテリング・センターのワークショップにも参加している。

しかし、悪いひとではないが、謙虚でもない。

ネット検索で得たわずかな知識と一度のワークショップ参加経験だけで、何もかもわかった気になり、何事かを差配できる資格をもっていると思い込む。端的にいえば、勘違いである。一般的にいって、この種の発想の源には、じぶんが何か特別な立場にあるという暗黙の、そしてたいていは無自覚な前提がある。マスコミ業界人にありがちな傾向である。研究者のなかにも「テレビ」といわれればたちまち追従するひとがいるのかもしれない。そうした態度も、こうした傾向を助長してしまうのだろう。それでも他の分野の専門家なら、まだいい。ぼくの専門はメディア論だ。そんな無邪気なわけがない。

誤解のないように付けくわえておきたい。デジタルストーリーテリングについて話をしたり、議論をしたりすること自体は、ぼくは大歓迎である。ワークショップも、事前に連絡さえくだされば、誰でも見学してもらってかまわない(むしろぜひ見てほしい)。それがデジタルストーリーテリングの発展や普及につながるのなら、よろこんで協力する用意がある。

手前味噌にはなるが、ぼくは試行を含めれてかれこれ6-7年ほど、デジタルストーリーテリングの実践を積み重ねてきている。その間制作した作品本数は、ちゃんと数えたことはないけれども、150本は越えるはずだ。その蓄積の厚みは、たぶん国内では随一であろうと自負している。しかも、たんに長く実践してきたというだけではない。そのなかで方法論を整理し、思想的な検討をくわえてきている。それを還元してゆく責務は当然ある。

ただこれまで、ぼくはじぶんの実践蓄積について、まとまった形で発表したことがない。ウェブに作品をあげているのと、短い文章を2-3書いただけだ。だからぼくのところに蓄えられた知恵は、関心があったり必要としたり、あるいはこれから関心をもつかもしれないひとたちには、まだまったく知られていないだろう。

デジタルストーリーテリングについて、やっぱり本を書かねばならないな、とあらためておもった。興味をもってくださる方いらっしゃいませんか?


パリ散歩旅(5)──復活祭にハシゴ

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旅先なので食事は毎回外食だ。デリで何か買ってホテルの部屋でたべるのもよいとおもっていたが、けっきょく毎回外食だった。といっても、いつもながら特別な店に行くわけではない。カフェやブラッスリあたりで気楽にすませる。

気がかりだったのが、復活祭の休暇にあたる時期と重なったことである。なんでもこの時期は日本でいえば「ゴールデンウィークみたいなもの」らしく、観光地は混むという。それだけなら、いい。ちょうど日本でそうしているように、我慢すれば済むだけのことである。だがここはヨーロッパだ。食事をするお店まで休んでしまうのではあるまいか。

そこで事前に、大学の同僚にして本拠がパリという(おお!)作曲家の望月京さんにうかがった。すると彼女はいつもの麗らかな調子で「ああ、だいじょうぶですよぉ」といって、詳しいパリ事情を教えてくれた。それによれば、こうだ。観光客がいるあたりならカフェなどは開いている。移民の多い、たとえば右岸のマレ地区などへいけば、復活祭などというカトリックのお祭りなどはまるで無関係で、街はふだんどおり。ギリシャ、ユダヤ、アフリカなどのお店はまちがいなく開いているだろう。中華系、ベトナム系、タイ系なら文字どおり年中無休だ。パン屋は休日でも地区にひとつは営業することになっているし、最近法律が改正されてスーパーも休日営業が可能になった。──高級レストランに行くような大名旅行でもないかぎり、困ることはなさそうだ。子づれ貧乏散歩旅にはなんとも心強いお話である。

はたして復活祭のその日、望月さんの言葉どおり、サンミシェルあたりのお店は、ふだんとなんら変わらず軒並み店をあけていた。のみならず、この一帯には、こぼれた金平糖にむらがる蟻のごとく大量の観光客が押し寄せている状態だ。ふだんならまだ閑散としているはず夕方早めの時間帯だというのに(この時期のパリは午後9時を過ぎてようやく暗くなる)、どの店もけっこうテーブルが埋まっている。ほかに行き場がないのだろうか。といっている間に、《くんくん》の緊急事態をうけて、その渦中からはじきだされるようにしてホテルまで急いで戻った話は、パリ散歩旅(4)で述べたとおりである。

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事が片付き、あらためてホテルを出た。あたりの商店は、なるほどだいたい閉まっている。大通り沿いの大規模書店は開店しているが、このあたりに点在する小さな専門書店はどこも休みだ。パンテオン前のカフェは観光客で盛況だった。それでも賑やかなのはこの一角だけ。一歩入ると住宅地で、そこらに小さな間口の店が点在しているが、カフェもクレープ屋もワイン屋も、お店はたいてい閉店。根気よく歩くと、小さなデリに灯りがともっているのを見つけた。チベット料理やケバブ、中華料理の店なども開いている。望月さんに教わったとおり、宗教が違えば復活祭に休む理由はないわけだが、まったくそのとおりだ。そしてそれだけ多様な形でいろいろなひとがフランス社会を織りなしているのだということでもある。

一軒の小さなピザ屋に入る。なぜピザ屋が開いている? と訝しんだものの、入ってわかった。店主がシリア系なのだ。料理を待っているあいだに《くんくん》はさっそくお手洗いに行った。これまでのことで懲りているのだ。

その店のトイレは地下にあった。便器は、これまで《くんくん》が見たことのない形をしていた。床に穴があいていて、そのわきに両足を載せる白い陶器の台がある。それだけ。いわゆる金隠し的に立ちあがった覆い状の部分は、それを水平にすっぱり切りとったみたいにない。まるで東南アジアのそれとそっくりだというのが興味深い。東南アジアのばあい、用がすめば、手おけでバケツの水をすくって便器を流すが、ここはもう少し機械化されている。上から垂れ下がったひもを引っぱるのだ。すると、頭上のタンクに溜められた水が流れ落ちる。日本でもちょっと前までの水洗トイレは、こんな仕掛けだった。手洗台の蛇口にはハンドルがなく、床に埋め込まれたボタンを踏むと水が出る。

地下にトイレがあるというのは、どうもパリの典型的なパターンのひとつらしい。市内のカフェなど、入ったお店の多くでそうなっていた。排水のことをつい考えてしまうのだが、下水道の本管がそれだけ深いところにあるということなのだろう。例のオペラ座の怪人がつかっていたやつである。地下のトイレの奧が厨房になっていることもある。子どもたちがトイレに行くと、厨房で働くひとが気さくにbonjourと声をかけてくれることがままあったらしい。ウェイターが仏頂面のところほど、そうだ。

しかし、われながらうっかりしていたとあとで後悔した。トイレの写真を撮り忘れていたのだ。今回の写真はすべてGRD3で撮影した。予備としてGX200も携行していったが、一度もつかわなかった。一眼レフは重くて持ち歩く気力がなく、初めから持参を諦めていた。古いIXYは子ども用としてずっと貸してやったら、何やら熱心に大量の写真を撮っていた。

ピザ屋でのワイン1本では飲み足らず、それにこちらではワインばかりだったので、そろそろビールが飲みたくなってきた。子どもたちもまだ何かたべたいという。かれらはこれまで、学校の給食で、何があっても一度はお替わりするということをポリシーに生き抜いてきた猛者である。級友から「ごはんの神さま」と半ば呆れられつつ呼ばれていたほどだ。そこで「ハシゴ」をすることにした。

入ったのはホテルのすぐ裏にある中華料理店、東紅。地味なお店なのだが、とても親切で、料理もおいしかった。ぼくは青島ビールを飲み、子どもたちは何品かたのんだ料理を「おいしい、おいしい」とたちまち平らげたうえに、《みの》などは勝手に「チャーハン、しるぶぷれ」と、ちゃっかり注文して、これも平らげた。

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東紅の女主人は、たぶんぼくたちとほぼ同じくらいの年格好だろう、うちも子どもがいる。女の子ふたり、いちばん上の男の子は、もうお店を手伝ってくれていると、たどたどしい英語でいう。上の男の子というのは、いろいろとぼくたちに注文をとりにきたり、料理を運んでくれたりしていた少年だ。たぶん高校を出たくらいの年齢だろうか。

そんなふうにして、ぼくたちのパリ散歩旅の日々はすぎていった。帰りに空港へ向かう途中《くんくん》が「もう少しパリに住んでいられたらよかったのにね」と笑って言った。

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さて、つい長ながと書いてしまったのは、ひさしぶりの子づれでゆく海外散歩旅だったからだろう。子どもたちは大きくなってゆくし、《あ》もぼくもなんだか忙しくなるばかりだ。家族みんなでこうして旅するのも、あとそう何回もあるまい。そういう気持ちもなかったわけではないから、それも、だらだらと書き綴ったことに少しは関係しているかもしれない。

それでも、乞食や物乞いのこと、教会のことなど、まだ書き残したことがいくつかある。いずれバージョンアップして後日、別サイト「さんぽのしっぽ」にあげておくつもりです。──って、いつになることやら。

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パリ散歩旅(4)──トイレを探して

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そのうち《くんくん》がトイレに行きたくなった。

なにしろ春のパリは寒かった。一日中外を歩いている。無理もない。しかもこの日の《くんくん》は不運だった。エッフェル塔でも一度トイレに行きたくなったもののまにあわなかったのだ。

エレベーター搭乗のための長い行列待ちのあいだ、寒風に吹きさらされて、芯から凍えてしまった。最上階まで到達したときには我慢できなくなっていたのだが、もはやどうにもならない。そこには(当然)トイレはなく、そればかりか、下りのエレベーターを待つ人たちの列が、とぐろを巻いた蛇のように、展望室内をのたうっていたからである。順番が来て地上にたどり着き、急いでトイレを探して入ったものの、ちょっとばかり遅かった。それで一度ホテルに帰って着替えていた。なのに、また、なのである。

パリで公衆トイレを見つけるのは至難の業らしい。東京だと、地下鉄の駅や商業施設などに、たいていは誰でもつかえるトイレが設置されている。それがない。ミュージアムでさえトイレはあっても小さいし、清掃などでつかえないことも稀ではなかった。街中でトイレを示す標識自体を見かけることも、まずない。たまに広い歩道の一角に公衆トイレと記された楕円形のコンテナ様のものがある。しかし、復活祭だからなのかそれが常態なのかは知らないが、どれも判を押したように「使用中」のところにオレンジ色のランプが点っている。

尿意をごまかすために「たてのり」みたいにジャンプジャンプしはじめた《くんくん》をつれて、トイレを探す。小鳥市場のはずれの小さな丸い建物にひとが入っていたので、もしやトイレかとおもってしばらくその前で待っていたが、いつまでたっても誰も出てこない。これでは埒が明かない。しばらくあたりを探しまわり、メトロの乗り場にトイレの表示を見つけたのものの、ぬか喜び、無情にも「閉鎖」の貼り紙がしてあった。

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そうこうするうち、《くんくん》の状況はもはや予断を許さぬ状況に陥った。やむをえまい。こうなったらホテルに帰るのがいちばんだ。

滞在中毎日そうしていたように、コレージュやパリ大学のむやみに立派な建物の脇をとおりすぎつつ、サンジャック通りの坂道を登る。《あ》と《みの》に付き添いにして、《くんくん》をホテルに先行させる。3人が横断歩道をわたったところで信号が変わり、ぼくと《なな》だけが取り残された。《あ》は、ぼくには想像のつかないほどの方向音痴である。あらぬ方角に曲がろうとしている。見ているこちらも気が気ではない。そのうち3人は、曲がるべき角を曲がり、小走りにホテルのほうへ向かっていった。

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ぼくと《なな》が遅れてホテルに着くと、受付裏のトイレを貸してもらっているところだった。残念ながら《くんくん》は、またもほんのわずかに間にあわなかった。仕方がないので、部屋に戻り着替え。濡れた服はさっそく《あ》が洗濯した。

干し終わるころ、気がついた。パリにトイレが少ないのは、カフェがたくさんあるからなんだな。そして、晩ごはんをたべるところを探していたことを思い出した。

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パリ散歩旅(3)──ケ・ブランリーのレヴィ=ストロース

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ぼくたちの子づれ旅には、目的というほどの目的はない。だから「散歩旅」とよんでいるわけだ。今回もそう。《みの》の進学記念というのは名目や口実であって目的ではないのだし。それでも強いていえば、ケ・ブランリー美術館に行ってみることが目的、といえるかもしれない。

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ケ・ブランリーは2006年に開館した人類学の資料を展示するミュージアムである。ジャン・ヌーヴェルの建築やパトリック・ブランの垂直庭園が有名らしいのだが、今回のお目当ては中身。レヴィ=ストロースのコレクションが展示されているというのである。じつは《あ》はレヴィ=ストロースの翻訳書の編集を長く手がけてきた。この機会にぜひじぶんの目で見ておきたいという。

場所はエッフェル塔のほぼすぐ隣。たまたま日曜だったので無料で入場できた。

ルーブルなどとは違い、いちおう順路らしきものが設定してある。オセアニア→アジア→アフリカ→アメリカとまわる。展示方法はよく工夫されている。さまざまな収蔵物が黒を背景にして浮きあがるように展示してあるのだ。ものによっては、ガラスケースの囲いがなく、そのまま剥きだしで展示してあるものもある。

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展示のなかに日本などの文明化した文化が入っていないのは、いわゆる未開の文化を対象としているためだ。未開と文明という区分は、「野生の思考」以前の、人類学としては伝統的な発想といえようが、ポストコロニアルの洗礼を無視できない今日的な観点からの批判も当然ある(たとえばこちら)。そしてその批判は、いうまでもなく妥当である。

だが、いっちゃ悪いが、それは人類学の「原罪」みたいなものであろう。そうした「原罪」を自己批判することは大切だが、でもいくら自己批判したところで人類学が人類学でなくなるわけではないし、そうなってしまっては何もかもが壊れてしまう。それでは身も蓋もない。それに、人類学にかぎらず、どんな学問にだって「原罪」はある。人類学にとって真に重要なのは、その「原罪」をどう引き受けていくかという覚悟を定めることではあるまいか。ぼくは門外漢だが一種のファンであり、そのような立場からそうおもう。

個人的な印象であって明確な根拠はないけれども、ケ・ブランリーにおいては、もろもろの批判はおそらく前提したうえで、わかりやすさを優先したコンセプトを採っているのだろうとおもわれる。むしろ問題にするべきポイントは、その「わかりやすさ」のために、文化人類学的資料を「美術」として(それはいうまでもなく近代西欧的概念である)展示してしまっている図々しさのほうではないだろうか。

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肝心のレヴィ=ストロースのコレクションは、ボロロ族の族長がかぶる帽子というか、羽根飾りのついた装飾だった。詳しくは『悲しき熱帯』を読んでもらいたい(できれば川田順造訳の中公版がよい)。

ケ・ブランリーにかぎらず、パリのミュージアムは全般に日本のそれと異なって、お勉強的なパネルはほとんどなく、最小限の情報が記されているにすぎないのだが、ここではごく簡単な解説とともに小さな文字でレヴィ=ストロース寄贈と付されていた。

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ミュージアムショップで本やDVDを買い込む。ぼくたちのばあい、こういうところが旅先でもっともお金をつかう場所だ。けっこう気前よく買物をする。ミュージアムガイドは英語版もありますけど交換します? とレジのおねえさんが気をまわしてくれた。ありがたく交換してもらう。

外へ出ると、いつのまにか入館待ちの行列が続いていた。また雨が降りはじめていた。パリは寒かった。

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パリ散歩旅(2)──ノートルダムのスタンカーメン

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到着したパリは復活祭のまっただ中だった。もうヨーロッパじゅうからやって来たお上りさんだらけ。われわれもお上りさん一行として、そのなかに混じり、うろうろする。

ノートルダム大聖堂へやってくる。なんというか、浅草寺の雷門前みたいな雰囲気である。あんなにじめじめしていないが。聖なる場所が俗なる場所に囲まれているという図式は、なかなか興味深い。観光なんて世俗のきわみだしなあ。

その大聖堂の塔に昇ることができる。ただし順番待ちの列は半端ではない長さだ。下手なディズニーのアトラクションよりも待たねばならない。ミュージアムパスという美術館自由通行手形をもっていても、ならばなければならないという。

塔のほうはいいが、大聖堂の内部には入れてくれないらしい。復活祭の儀式の準備でもあるのだろうか。それでもむりやり押し入ろうとしている観光客のみなさんと係員が押し問答している。

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大聖堂前の広場は、行き場のなくなった観光客で埋め尽くされ、むちゃくちゃなことになっている。映画『イースター・パレード』(名作である)のラストシーンそのままである。でも、誰ひとりとして殺気だつひとがおらず、ただぼんやりとたたずんで、大聖堂の上に白い雲が流れてゆくのをながめている。大学生くらいの女の子たちの集団が突如賛美歌をうたいはじめた。みんな退屈しているので、すぐに観光客の輪ができる。一曲終わると拍手、つぎの曲、というくりかえし。7-8曲うたったら、ガイドブック片手にうれしそうにその場を去っていった。

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その横に、ツタンカーメンがいた。かぶり物をかぶり、全身金色の衣装に身をまとい、石杭の上にたって、身じろぎもしない。一言も発しない。足許におかれた小箱に小銭が投げ入れられたときだけ、深々とお辞儀をするのである。

子どもたちはこのパフォーマンスにキャッキャとよろこんだ。《くんくん》は「スタンカーメン!」と、歌舞伎の観客みたいに声をかけている。「ツ」ではなく「ス」といってしまうのは、その言葉を知識として知っているのではなく、耳で聞いて真似しているからだ。たしかに「スタンカーメン」のほうがこの場にふさわしいかも。

スタンカーメンは、後日シャンゼリゼでも遭遇した。そのときはベンチに腰かけていた。

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パリ散歩旅(1)──10年ぶり

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パリに行ってきた。たまたま安いチケットがとれたのだ。安いといっても、それは一人分のこと。今回は《みの》の高校合格記念でもあり、一家総勢で出かけた。すると自動的にそれは人数倍されることとなり、安いはずの航空券もけっこうな値段にふくらんでしまう。ネットで検索しまくりホテルを見つけたが、それとて2部屋必要になる。費用のことは、もうあまり考えないようにするほかない。

家族みんなで海外へ出るのは10年ぶりだ。《みの》が小学校へ上がると、もうそれ以前のようにフライトの安いときを見計らって休みをとることなどできなくなってしまう(古い散歩旅の記録は「さんぽのしっぽ」内の旧サイト・アーカイヴへ)。学校というのは不自由なところなんだと、まるでクリストファー・ロビンの話を聞かされるプーのような台詞をつぶやいているうちに、10年すぎてしまったわけだ。まあ、もちろん実際にはほかにもいろいろ事情があったのだが。

さて、空港からホテルまでは日本からミニバスを予約していったのだが、その運転が粗い粗い。もう「走る」「止まる」の2モードしかない。前のクルマとのあいだに少しでも間があくと思い切りアクセルを踏みつける。関西人顔負けである。

《くんくん》が車酔いをし、ちょうどマドレーヌ教会までやってきたところで、がまんできずに戻してしまう。運転手氏があわてて「車のなかに出したのか?」と訊く。さいわい《あ》が機内でもらったエチケット袋があり、そちらのほうを使用した。だから大丈夫、と答えると安堵し、「どのくらいのフライトだったんだ?」という。13時間、と答える。運転手氏は「13? 分?時間?」とぶつぶつ自問してから、口をすぼめて「ヒュー」といった。

大混雑のコンコルド広場を抜け、セーヌ川を渡り、ホテルに、いったんモンパルナスのほうまで行ってから、リュクサンブール公園近くのホテルに入ったころには午後7時。といっても、日本でいうとまだ午後4時くらいの明るさだ。

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ホテルを出て近くを散歩する。近所にパンテオンがある。手間の参道沿いに、Odile Jacobという書肆を見つける。

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夕食はホテルの地上階(日本でいう1階)に入っていたブラッスリでとった。子づれにもかかわらず、英語の少し話せるおにいさんがとても親切に対応してくださった。《みの》が「とにかくステーキ」といって、出されるなりぺろりとたべてしまう。ほかの四人は長旅でやや胃がくたびれ気味。ワインも500mlのデキャンタだけにしておく。

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