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2013中国・四国 W800のアーカイブ

長旅を終えて W800インプレッション

初めての長旅で2904km走ったW800。現在のオドメーターは、それでもようやく6500kmを越えたところだ。印象を簡単にまとめておこう。

旅のあいだ、Wはいたって快調だった。一般道を走るのには、これほど適したバイクはないというのが、個人的な感想である。

それなりの速度で流れている幹線国道も、狭小で険しく荒れ気味の「酷道」や「険道」も、とりあえず舗装路でさえあれば、どんな状況でも対応できる。総じてオールマイティなバイクだ。

今回の燃費は、最高で34.7km/l、最低で28.4km/l。満タン法なので厳密な数字ではないが、ぼくの走り方であれば、ツーリングでは平均して31から32km/lは期待できそうだ。レギュラーガソリンというのも助かる。参考までに、ふだんの街乗りでは平均27-8km/lといったところである。

しいて難点をあげれば、空冷エンジンゆえ、夏場に渋滞にはまると廃熱がひどく、エンジンも人間もまことにつらいことだろう。そしてもうひとつ、カウルやスクリーンがないため、高速道路などでそれなりの速度をだすと風圧をもろに身体でうけなければならないこと。

前者は、なるべく渋滞を避けて走りつづける以外にどうしようもない。後者については、高速道路の法定速度であれば許容範囲内であり、いまのところ後付スクリーンなどの装着は考えていない。造型が乱れるのが嫌なのだ。

仙骨(腰の骨)を伸ばしたきちんとした姿勢でライディングしているかぎり、一日中走っていても、ほとんど疲れない。2気筒ゆえの振動はあるが、疲労につながるというものではない。

その振動は、独特の(ただしけっして威圧的ではない)排気音とも相まって、むしろ機械としてのWの鼓動や息づかいと感じられるものだ。それはぼくに、Wと一緒に旅しているという強い感覚をもたらしているだろう。そしてWの造型は、どんな風景にも溶けこむ。それでいて、適度な存在感を放っている。

「オートバイ」という日本語がこれほど似あうバイクは、ほかにないとおもう。

これからも、Wであちこち走ってみたい。

中国・四国ぐるり2900km その6 最終回

浜坂から余部へ日本海沿いの険しい断崖をトラバースする兵庫県道260も、Wには良い道だった。

ツーリングマップルでは「極狭小」と注記されている箇所なのだが、四国を走った人間ならば、それはやや大げさにおもわれる。ただ、路面に苔が生えていたり、落石があったりと、それなりに荒れてはいる。交通量はほとんどなかった。

「御崎」と標識には記されていたが、そこに余部灯台があった。日本でもっとも高い場所に建っている灯台である。二番目が、北海道の島牧の近くにある茂津多岬の灯台(建物の高さまで含めればこちらのほうが高い)。これでワンツーを制覇したことになる。

有名な山陰本線の余部鉄橋は、以前におきた転落事故のあと、コンクリート橋に架け替えられていた。古い鉄橋は解体され、跡地を公園にする工事中のようであった。

こちらは丹後半島先端の経ヶ岬の灯台。駐車場からやはり15分ほど山道を歩く。杖を突いたおじいさんに追いついた。東京のひとで、灯台めぐりをしているのだという。ほかに城跡めぐり、寺めぐりなど、いろいろなものをめぐっているらしい。記念写真を撮ってあげた。

奈良から伊勢へ抜けるR368は伊勢本街道。途中、たいへんすばらしい杉林を抜けてゆく。道の駅美杉で、地元のセロー乗りのおじさんに声をかけられた。この先の峠(仁柿峠)は狭くて険しい、セローでも怖いくらいだ、Wではやめといたほうがいいといわれた。たしかに「大型車通行不能」の警告が掲げられていた。

峠にさしかかる。なるほど狭小で急峻だ。だが、ゆっくり走れば問題なし。ただし、それはバイクの話だ。クルマどうしの離合は、ちょっと大変そうだった。

鳥羽から伊勢湾フェリーで伊良湖へわたった。伊良湖港近くで、船のすぐ横をシュモクザメが泳いでいるのを見た。水中を視認できたのは、偏光サングラスのおかげかもしれない。

ちなみに、柳井→松山の防予フェリーでも伊勢湾フェリーでも、バイクの固定方法は、シートに毛布をあてがってロープで固縛し、車輪止めを併用するというものだった。写真は防予フェリーの緊縛ぶり。どちらの便でも、バイクはぼくのW一台きりだった。

伊良湖からR42で渥美半島を東進し、R1へでたら、あとはバイパスを走り継いで帰った。トラックだらけで流れも速い。忘れたころに信号があらわれるのと、片側1車線の区間が長いことをのぞけば、ほぼ高速道路である。伊良湖は晴れていたのに、R1の静岡県区間は黒雲に覆われていて、いつ降られてもおかしくない気配だった。けっきょく降られなかった。

由比で食堂「さくら屋」に入った。さくらえび定食(980円)を頼んだ。生のさくらえび、茹でたさくらえび、さくらえびのかき揚げ、そしてさくらえびとあおさのお澄ましと、さくらえびづくし。びっくりするくらいおいしかった。

さくら屋のおばさんの「お気をつけて」の声を励みにR1を東進する。

だが、R246に入り、さらに松田から先の区間にかかると、地獄の無法地帯のような様相を呈しだした。ちょうど夕方のラッシュの時間帯に重なったこともあり、溢れんばかりの自動車で渋滞し、一向にすすまない。のみならず、その隙間をスクーターが猛烈な勢いですり抜けしてゆく。渋滞で流れが止まっているときだけでなく、流れはじめてからも、躊躇なく突入してゆく。まるでそこにスクーター乗りにだけ見える専用車線があるかのようだ。端でみているほうが怖い。こういうのは、やっぱり苦手だ。

ようやく長津田までたどり着いた。サンクスでこの旅さいごの100円アイスコーヒーを飲み、休憩。あとは都内を抜け市川まで一気に走った。ほぼ予定どおりに帰着した。

おわり。

中国・四国ぐるり2900km その5

Wとの道中で出会った風景について。

四国カルストは噂にたがわぬ美しい風景であった。地芳峠から県道383に入って姫鶴台にでると、こんな風景が目に飛び込んでくる。

この道を走ってカルスト台地を横断するのだ。

ちょうどハンカイソウの盛期で、黄色い花を咲かせていた。

駐車場にWをとめて、草原の遊歩道を少しだけ歩いてみた。

カルストの西端、天狗高原に学習館がある。立ち寄ってみた。仕事熱心な係のひとが、わざわざ「説明させてもらいまひょ」と声をかけてくれ、カルストの成り立ちや特徴について教えてくれた。

そのとき併せて、カルスト台地を横断して、坂本龍馬の脱藩の地をとおってから榛原へ抜けるといいとすすめられた。龍馬が土佐を脱藩したときにとおった国境なのだそうだ。

行ってみると、ただの森のなかの道路のまんなかに白線が引かれていた。ここから維新が始まったということをアピールしたいらしかった。

この先、林道をとおった。林道といっても全線舗装の快走路だったが、途中で通行止め。

迂回路である高知県道2に入ると、いきなり狭小路となった。四国の道は、国道でも県道でも、しばしばびっくりするくらいに狭小となる。ディフェンダーだと、お願いだから対向車こないでくれと祈りながら突入するわけだが、W800で旅するぶんにはかえって愉しいくらいである。

四万十川にはいくつも沈下橋がかかっている。口屋内の沈下橋をみにいったら、橋が落ちていた。新しく工事中であった。

足摺岬の灯台近くで見かけた看板。その後、岡山県の山中でだったか、路上で轢かれたイノシシを見かけた。

宿毛へつづくR321は、途中でショートカットする高知県道28と分岐している。その交差点で、たまたま信号待ちで隣にならんだスクーターの高校生に、どっちが早いですかと訊ねた。高校生がていねいに答えてくれているうちに信号がかわり、うしろから来た車にクラクションを鳴らされてしまった。悪いことをした。

佐田岬灯台へは、駐車場から遊歩道という名の山道を1.8km歩かなければならない。実際に歩いてみると、意外に近く感じられた。

遊歩道にカナヘビがいた。

灯台からは、すぐ先に大分県の佐賀関がみえた。

右手の足許には古い桟橋があった。これは現在はつかわれておらず、古い軍事遺跡であるようだった。

また遊歩道の途中には椿山展望台というのがある。展望はいまいち。だがここも軍事遺跡であった。探照灯格納庫が残されていたのだ。豊予水道をにらむこの土地は、かつては4つの砲台を配下にもつ要塞であった。

今治ではポートサイドホテルに泊まった。近くのスーパーへ買い出しにいくというと、自転車を貸してくれた。海辺の町らしくキコキコと音をたてるママチャリである。それに乗って、アーケードを抜けていった。

日曜ということもあったのだろうが、アーケードはシャッターが目立ち、街はしんとしていた。一本裏手に入ると、ちいさな運河が夕闇によどんでいた。どことなく味わいがあり、印象に残る街だった。

その6へつづく。

中国・四国ぐるり2900km その4

ツーリングレポート的な話題についても少し書いてみたい。まずは実用的な主題、すなわち宿泊や食事について。

泊まりはすべてビジネスホテル。ネットで安くてよさそうなところを探して、最初の3泊だけ事前に予約していった。あとはiPhoneから、じゃらんや楽天トラベルのアプリをつかって探して予約を入れた。

バイクでいきますというと、どこも屋根付きの場所を用意しておいてくださり、たいへん助かった。宿毛フレックスホテルでは、わざわざWのために一階の屋根付き駐車場を一区画をあけておいてくれた。デイサービス併設というユニークなところだった。

下の写真は京都エミナース。楽屋(?)への搬入口シャッターの前にWを停めさせてくれた。晩から雨が降ったのだが、おかげで濡れずにすんだ。

夏場なので一日走れば汗だくである。洗濯はなるべく毎日したい。ホテルにはランドリーがあればそこで、そうでなければ浴室でもって手動で、毎日洗濯した。

ランドリーの設備がもっともすぐれていたのは、松山のサンガーデンだった。ここでは300円で一階の駐車スペースにバイクを駐車させてもらえるのだが、その脇に3台の洗濯機が用意され、宿泊者は無料でつかうことができた。洗剤も無料。使用中の洗濯機に、部屋番号を書くという方式が合理的だ。写真にうつっているのは、たまたま同宿の見知らぬおじさんです。

そのサンガーデンでは、100円朝食というのをやっていた。簡易的なものだが、和洋どちらか選ぶことができる。ぼくとしては珍しく洋食を選んだ。レーズンパン、サラダ、ヨーグルト、ゆで卵、コーンスープ、飲み物とあって、ぼくには十分だった。

それ以外の日はたいてい朝食はたのまず、前日にコンビニで買っておいたパンと牛乳、トマトジュースですませた。朝食が0700からというホテルが多かったためだ。なるべくなら朝は早めに行動を開始したい。

伊勢で泊まった日の出旅館では、あえて朝食を頼んでみた。朝食は写真のように、絵に描いたような旅館の朝食であった。どれも業務用レトルトなどではなく、きちんと調理したお料理で、おいしかった。お味噌汁が、名古屋出身者としてとてもなつかしい味であった。

ここ日の出旅館は伴淳三郎がでてきそうな古い木造三階建ての駅前旅館である。リニューアルして和風B&Bをやっているという。12畳もある和室にひとりで泊めさせてもらった。お風呂は昔ながらのタイル貼り。バイクは向かいにある駐車場に停める(屋根なし)。

お昼はたべたり、たべなかったり。

上関町では「おふくろ」という食堂に入った。すると、なぜかお店のおばさんに「ビールのひと?」と訊ねられた。たしかにビールは好きだけど……。配達のひとにまちがえられたのだろうか。日替わり定食は600円で、メバルの煮付けとハモのお刺身つきだった。

いっぽう暑さにやられて、シャーベットやソフトクリームだけですませた日もあった。これは四国のR197ぞいの道の駅日吉の「ゆずシャーベット」。200円のところJAF割引きで180円だった。日に照らされた身体にしみる味だった。

朝のうちはまだしも、午前10時をすぎると路面からの照り返しがきつくなり、走行中に風にあたっていても、暑かった。そういうときにいちばんうれしかったのが、コンビニのサンクスやサークルKの100円アイスコーヒー。マシンにカートリッジを装着して熱いコーヒーを抽出。それを氷を入れたプラの容器に注ぐ。ちゃんとコーヒーの香りがする。もう缶コーヒーは飲めません。

もうひとつ、今回毎日のんでいたのが、炭酸入りのミネラルウォーター。暑くてつかれた身体にしみわたる。

夕食は2パターン。コンビニかスーパーでお総菜を買うか、近くの居酒屋へいくか。基本的には一日交替であった。

宿毛では、ホテルで教えてもらった「あすなろ」という食堂に入った。お刺身定食(1500円)をたのんだら、先付けから酢の物、伊勢エビでだしをとったお味噌汁まで、いろいろと出てきたのにはおどろいた。iPhoneで撮ったので、手ぶれしまくりで見づらい写真ですが。

大将によれば、お子さんが東京の大学にいっており、大学院へ進学希望なのだという。宿毛はいいよ、ひとがいい、みんなが何かしら持ってきてくれるから、食べるのに困らないしね、と笑っていた。アイスコーヒーをサービスしてもらい、さらに帰りがけに、おにぎりまでいただいた。翌日の朝食として、おいしくいただきました。

佐田岬に近い三崎港では、名物らしい「じゃこカツ」というのをいただいた。一枚100円。これとサザエの炊き込みご飯250円とが、この日の昼食だった。お店のおばさんが、近くで採れたというキュウリをくれた。太いところで直径5cm、長さは30cmはある巨大なキュウリだ。ぼくがおどろいていたら、このへんではふつうよ、といわれてしまった。じゃこカツがおいしかったので、晩のおかず用にもう一枚買った。

伊勢で入った駅の近くの「耕司」という居酒屋もよかった。カレイをお刺身でいただいたあと、骨と頭を揚げてもらった。ビールによくあう。

その5へつづく。

中国・四国ぐるり2900km その3

愛媛県の伊方原発に併設されたPR施設であるビジターズハウスは、細長く延びた佐田岬半島の中間あたりの稜線上にあった。

その立地の仕方は、島根原子力館(島根原発に併設されている)によく似ている。こちら側には街があり、向こう側には原発があって、その中間にあり両者を隔てつつ媒介するのが、PR館なのである。

  ▲展望室から南側をのぞむ。尾根上に立地しているのがわかる

伊方ビジターズハウスの展示は、ほとんどがパネルと映像をつかったもので、あまりお金をかけられているようには見えなかった。

子どもづれ多数。子どもたちは例のごとく展示にさして興味を示さず。ゲーム方式の展示物のボタンをめちゃくちゃに押しまくったり、館内をかけまわったりしていた。付き添いのおとなたちは、女性はおしゃべり、男性たちは涼んでいた。隣は道の駅「きらら館」で、両者は回廊でつながっている。

展望室にあがってみた。北側の眼下に伊方原発の原子炉建屋がみえた。

ここから豊後水道をはさんで北にゆくと、上関である。展望室の説明には、上関原発の予定地である「長島」や、その対岸にあって反対運動のさかんな「祝島」の地名が記してあった。

「メロディーライン」という名のR197のバイパスから北へ折れてくだってゆくと、愛媛県道255が走っている。半島の北縁を地形に沿って1.5車線ほどの狭小な道がくねくねとうねっており、原発敷地のまわりを寄り添って走る。例によって、鉄条網つきのフェンスに囲われ、要所に監視カメラの塔がたっていた。

  ▲県道255からは伊方原発が近い

伊方町役場の向かいにたつ町民会館の一階に、原子力広報センターというPR施設がある。ビジターズハウスは事業者である四国電力がやっているのにたいし、こちらの開設主体は公益財団法人。ひらたくいえば、受け入れ自治体である愛媛県の運営、ということだ。

  ▲写真左が町役場。広報センターは右の奧の建物1階にある

展示はパネルが中心だ。来訪者はおらず、係員もいない。

ところどころパネルの上から紙が貼ってある。特定の部分を隠すためらしい。終戦直後の「墨塗り教科書」みたいなものである。

町民会館には公民館も併設されている。ロビーがあって、ソファやテーブルがおかれていた。行き場のない高校生がたむろしていた。

そのほか、人形峠(5月につづいて再訪した)や木津川のPR施設なども見てきたのだが、長くなるのでブログでは割愛する。

これで全国の原発関連のPR施設のほぼすべてを実踏したことになる。そろそろ、どうにかすることを考えるべき時期かもしれない。

その4につづく。

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