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鉄道と鉄道模型のアーカイブ

最南端の二つの駅──西大山駅と開聞駅

開聞岳から下山したあと、まわりをうろうろしてみたときの話を「さんぽのしっぽ」にあげた。

このあたりのスポットといえば、まずJR最南端である西大山駅があげられることが多いのではないか。しかしここは近年急速に俗化したようであり、なんだかひじょうに居心地のわるい場所になっていた。残念なことである。まあ、そう感じるほうが少数派で、じつは多くのひとはこれはこれでオッケーということなのかもしれないのだが。

ぼくが好きなのは、その二つ隣の開聞駅だ。

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「最南端」みたいなわかりやすいキャッチフレーズはない。開聞岳もあんまりよくは見えない。そもそも観光的な要素がほとんどなにもない。けれど地元のひとたちに大切にされている駅の姿がある。この駅なら一日くらいずっと過ごせるような気がする。

もうひとつのスポットをあげるとすれば、開聞岳南岸をまわる周回道路のトンネルであろう。狭くて照明もなく、屈曲していて出口が見えないまま、けっこう長い距離を走らされる。不気味きわまりない。

このトンネルを通過するようすは車載動画にも撮ってある。今回はあげていないが、機会があればそのうちアップしてみようとおもう。

ゼミ合宿の帰りにC58を見つけた

夏の集中講義も終わり、ようやく前期の大学の仕事がひと段落した。やれやれである。ゼミ生たちは、7月に入ってからずっと、集中講義の準備をする者あり、ラジオ番組の企画を立てたりする者ありで、なんやかんやと忙しかった。そもそも集中講義前日まで、ゼミ合宿にいっていたのだ。

で、合宿の帰り道のことだ。三島での乗り換え時間をつかって、駅前の楽寿園というところにいった。こんなところにこんな場所がなるなんて、ぼくはぜんぜん知らなかった。合宿を計画した学生たちが見つけてきたのだ。湧水池を中心とした公園だ。森と池があり、なぜか小動物園もあって、昔はゾウなんかもいたらしいのだが、ぼくたちが行ったときには、カピバラが草をはんでいた。

ちょうどいい具合のあずまやがあった。かき氷をたべながらゼミの続きをやった。そのあと、園内を歩くと、遠方に蒸機が見えるではないか。C58だった。

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こんなところにC58が保存されているとは。蒸機の保存に詳しいひとにはよく知られているのかもしれないが、ぼくはまったく知らなかった。

屋外ではあるが、屋根つき。なかなか状態がよさそうだ。大切にされているのだろう。

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運転席。操作機器の状態もよい。

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公式側(車体の進行方向左側面のこと)のロッド部分。ラップのようなものがかけてあった。理由はわからない。

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この個体は、C58 322だ。とくに説明書きはなかったが、帰ってから調べてみると、三島あたりの東海道線を走っていたことはなく、直接この地に縁があるわけではないことがわかった。だが、同じ静岡県内の二俣線を走っていたことはあるという。県内とはいえ、三島からでは東の端と西の端というくらい離れているのだが。

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区名板に入れられた「俣」のプレートは、遠江二俣機関区時代のものというわけだろう。

運転席の扉が赤く塗られていた理由は不明だが、錆止めの下塗りなのかもしれない。

ちなみに、園内には子ども用の豆列車も走っている。その「機関車」もC58 322だった(拡大してご確認ください)。ま、車両の形はまるっきり違うんだけど。

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実物のC58 322へ話を戻す。区名板にはもう一枚、「敦一」というプレートも入れられている(前掲写真を参照)。これは敦賀第一機関区所属であることを示している。C58 322はここで廃車になっているそうだ。それで、スノープラウを装備している理由がわかった。スノープラウとは、排雪器のこと。一枚目の写真で、連結器の下に映っている。東海道線あたりでは、ふつうあんまり見られない装備である。

ところで、二俣線は、今日では天竜浜名湖鉄道と名を変えている。そのちょうど中間あたりにある天竜二俣駅は機関区を併設しており、それが旧遠江二俣機関区だ。いまも現役で稼動中のターンテーブル(転車台)と扇形機関庫をそなえていることで知られている。

じつは、偶然ながら、この3月にそこへ見学に行ってきたばかりだった。そのときはブログに詳しく書く暇がなかったのだけれど、ちょうどいい機会なので、写真を載せてみたい。

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なお、天竜二俣駅の向かいにも、やはりC58が静態保存されていた(389号機)。これは遠江二俣で廃車になった車両だ。

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ターンテーブルも扇形機関庫も、そして蒸気機関車も、いまではほぼ消滅してしまったものだ。ぼく自身も、現役時代のことは、リアルタイムではほとんど知らない(ぼくが興味をもつものには、そういうケースが少なくないのだが)。

しかしこうしたマテリアルは、どういうわけか、ひとの気持ちを惹きつけてやまない力をもっている。鉄道模型のレイアウトで必須アイテムでありつづけているのにも、たんなるノスタルジーではなく、それなりに深い理由があるにちがいないとおもっている。

サンライズ瀬戸に乗る

ゼミの打ち上げを兼ねた合宿。今年は香川県に行った。今回よかったことのひとつは、往路にサンライズ瀬戸に乗ったことだ。選んだのは学生である。夜行列車に乗ったことがない、という理由からだった。

いまや夜行列車は絶滅危惧種である。その傾向自体はぼくが学生のころにはすでに見られ、夜行列車は十分に衰退しかかっていた。だが当時はそれでもまだそれなりには残っていた。急行八甲田や津軽で北海道へ行き、利尻・大雪・まりもといった道内の夜行急行を利用し(もちろん寝台ではなく座席しか利用しなかった)、東京大垣間の夜行普通列車で名古屋へ帰省するなどしていた(無名だった通称大垣夜行はその後「ムーンライトながら」となり、いまは定期運行をしていない)。

しかし、とうとうこのたびのダイヤ改正で、夜行列車の定期運行はいよいよ壊滅的になるらしい。そういえば、上野青森間の寝台列車あけぼのが(定期運行としては)最後の発車になりますという報道を、その後四国で見た。

サンライズ瀬戸は、その数少ない生き残りである。それは移動手段というよりも、乗車するという体験そのものがイメージ化して消費の対象となっているという意味で、参加体験型の「走る観光地」と化している。良し悪しはともかくとして。じっさい、ぼくらが乗車したときも、今日もほぼ満室でしてと車掌さんが話していた。

サンライズ瀬戸は285系の電車寝台である。

電車寝台といえば、かつては583系であった。ずっと昔に青森から臨時の日本海に乗ったことがあるが、これが583系であったと記憶している。三段寝台で寝台は高さがなく、上体をおこすことさえ困難だった。とくに真ん中の寝台は、ほとんど書類入れのような状態だった。

あれに比べれば、サンライズ瀬戸ははるかに快適だ。ほとんどが個室化されており、内装はきれいめのビジネスホテルふう。さすが観光列車である。

今回ぼくたちが乗ったのは、下位クラスのB寝台ソロだ。3号車はモーター搭載車であるため、二階建てが多い他の車輌とちがって、一層のみ。個室の配置が上下にパズルのように組みあわせられている。通路は狭く、大人どうしのすれちがいは困難。個室は大きめのカプセルホテルくらいの広さであった。肥っていたり背がとても高かったりすると、ややつらいだろうが、ふつうの体格なら、まあ問題ない。

扉はオートロック。テンキーに暗証番号を設定してつかう。ぼくはさっそく設定に失敗して閉めだされてしまい、車掌さんに助けてもらった。

扉をあけるといきなり階段があらわれる。四段登ると、ベッドだ。幅は狭い。窓が大きくとってあり、寝返りをうつとおっこちそう。窓は上部が屋根まで少しまわりこんでおり、ディフェンダーのアルパインウインドウのよう。開放感がある。

枕元には、寝間着、枕、毛布がおかれ、空調や照明、ラジオの調整卓があった。

ひとりで寝る分にはとくに問題はない。荷物は階段のところに置ける。ごらんのとおり、工夫をすればコンパクトタイプの傘を干すこともできる。

東京駅2200発。品川あたりで明学のある方角をながめながら(校舎は見えないけど)、車内でオールフリーを飲む(念のためアルコールは避けた)。そして早々に寝てしまった。

学生たちは、ラウンジでカードゲームをして遊ぶつもりだったらしい。だがラウンジはさほど広くなく、椅子が窓向きに固定されているために、諦めたらしい。それぞれの寝台に引っ込んだあと、LINEでやりとりしていたという。

明け方、目をさめたら、東大阪を通過中だった。遅れているらしい。二度寝したあとも、列車はまだ兵庫県内を走っていた。そのあとごろごろと本四連絡橋をわたり、定刻より1時間半近く遅れて終点高松に到着した。途中、強風のため静岡県内で長く停車を余儀なくされ、また明け方には伊予灘で地震が発生した。その影響であった。

車内放送で遅延を詫びていた。影響をうけて大変だったひともいただろう。ぼく個人としては気楽なもので、そのぶん長く乗車できたと満足であった。

烏山線に乗って

今月の初めにあったゼミ合宿の帰り道、JR烏山線に乗ってきた。宇都宮の北から東へ延び、烏山駅が終着の盲腸線だ。もちろん単線である。昨年は水郡線に乗った。同じルートでは悔しいとゼミ生たちが頭をひねって考えたらしい。

宇都宮で餃子をたべたあと、いちばん端のホームからでる烏山線の列車に乗った。

キハ40-1000番台の2輛編成である。これはいい。個人的にテンションがあがる。

車内はロングシートに改装されていた。

シートの長さの都合なのか、途中で途切れて隙間ができていた。そこにゴミ箱が設置してあった。律儀にビニール袋がかぶせてある。背後の壁面には造花が活けて(?)あった。

しばらく東北本線をまた北へ戻ったあと、宝積寺駅から分岐して烏山線に入った。

途中、大金駅で列車交換をする。8月1日より無人駅化と案内がでていた。ぼくたちが訪れたときは、その直後だったということになる。

終点のひとつ手前、滝駅で下車。つぎの列車まで一時間以上ある。

近くに「龍門の滝」があるという。あいにくの天候だったが、このときはさいわい雨はほぼやんでいた。

滝まで徒歩5分とのこと。実際に歩いてみると、ほんとうに5分で着いた。

滝は予想以上に大きく、おどろかされた。たいへんな水量だ。迫力があった。

駅にもどり、こじんまりしたホームで立ったままゼミのつづき。まもなく雨が降りはじめた。ホームにはたちまち水たまりができた。

終着の烏山駅に着いた。

駅前のようす。近くにあった喫茶店に入って、またゼミのつづき。

駅舎はこんな建物。鉄道模型のレイアウトにちょうどよい佇まいであった。

夕方の列車で宇都宮へひきかえした。鬼怒川をわたりきるころには黒雲が西の空を覆った。時折、稲光が走った。そして烈しく雨が降りはじめた。

列車は宇都宮駅の手前で一時すすめなくなり、延着した。おかげで予定していた宇都宮線の列車に乗りそこね、一本あとの湘南新宿ラインで帰ることになった。なかなか愉しい列車旅であった。

藤枝駅近くの駿遠線の痕跡

おかげさまで体調は家族ともどもよくなりました。ご心配おかけいたしました。

所用の途中、静岡県の藤枝駅に立ち寄った。東海道本線のこの駅からは、かつて静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道が発着していた。

その路線は軽便としては長大であった。藤枝の旧市街から藤枝駅をへて、大井川をわたり御前崎近くで牧の原台地を越え、いまの浜岡原発のすぐ北側をかすめるようにして西進し、袋井に至る。

とはいえ1970年には全線が消えてしまっている。ぼくももちろん模型や雑誌で知っているだけで、実物を見たことはない。

JR藤枝駅のガラス張りの真新しい(しかし近年どこでも見かけるような)駅舎を北口に出る。すぐ右手に隣接して駿遠線の新藤枝駅があった。一時はバスターミナルに使用されていたようだが、いまはビジネスホテルや巨大なマンションが建ち、奧は駐車場になっている。

そのさらに奧にいくと、小さな公園がある。ここに駿遠線の碑がたっている。「軽便鉄道駿遠線蹟」と刻まれていた。平成十年建立とあるから、意外に新しい。手入れも行き届いている。写真奧にみえる踏切は東海道本線のものである。

なおネット上の情報では、公園の向かいに日帰り入浴施設があるとされていたが、グーグルマップ上では更地となっており、ぼくが訪問した時点ではタワーマンションが建っていた。

碑のある公園から少し北東へいく。田沼街道という道路をわたったところに、斜めに入っていく小さな路地がある。写真右手の用水沿いの小径がそれだ。

たたずまいがいかにも軽便的である。駿遠線のうち大手方面へいく線路跡だったとおもわれる。そのような目でみると、何でもないただの路地が特別なものに見えてくるから不思議である。ただ、それは無理やり想像力を働かせるからであって、現実には往時の面影が残っているといえるような状態ではない。

路地を歩いて抜けると、すぐに広い道路に出た。その向こうに並木道が一直線に北へ延びていた。当時からあった並木かどうかはわからないが、40数年前まではこの並木道の位置に線路が延びていたのだろう。

ネット情報によれば、駿遠線の線路跡は道路になったり自転車道に転用されたりして、けっこう辿ることができるらしい。もう少し歩いてみたかったが、時間切れとなった。

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