授業であてられたとき

前回「納豆ダイエット騒動」のエントリーで、こう述べた。行為をするとは、小さな決定であり、行為の結果は決定した当人がまず引き受けるものだと。

ところが世の中にはしばしば、決定を棚上げにして結果を引き受けること、つまり責任を回避したがる傾向が見られる。政府高官の失言とか企業の不祥事などが顕著な例ではあるが、それらが例外ではないのは、周囲を見まわし自己をかえりみれば、すぐわかる。

それは個人がしっかりと確立されていないせいだと、いつだってじぶんだけは違うという前提で物言いをする訳知り顔は、いうかもしれない。たしかにそのとおりではあるだろう。だが、原因を個人にばかり還元してしまうと、これまた話を見失うことになりかねない。当事者を非難することも必要だろうが、それだけでは、なにも変わらないからだ。一方この手の批判は、日本人論や日本社会論のひとつの典型としてくり返されてもきたが、ここに立てこもってしまうこともまた、問題を正面から見据えないことである。なぜなら、けっきょく「日本人」や「日本社会」を実体化してそこに責任をなすりつけたところで、それ自体が責任回避のメカニズムにすぎないのだから。見きわめていく箇所は、個人の水準や、あるいは日本人とか日本社会といった有効性の曖昧な水準に還元することではなく、ひとをしてそうさせてしまう何かが働いているという刹那に分け入っていくことではあるまいか。

発達段階において責任回避の振る舞いが見られる最初の場所のひとつは、学校の教室である。先生に指命されたとき、もじもじとして発言を先延ばししたり、まわりの友だちに「何なに?」と訊ねる格好をしてみたりして、質問に向きあおうとしない態度は、少なくともぼくが学生のころにはさほどめずらしくない光景だった。しかし、じぶんの子どもやそのまわりの子どもたちを観察している限り、うんと小さいころには、そうした態度はあまり見られないようだ。だとすると、ひとはいつ、どのようにして、そのような態度を身につけるのだろう?

小学六年生のわが長男の授業を見に行ったときのことだ。月に一回だけあるという英語の授業だった。ぼくが顔を出すことができたのは、おしまいに近いほんの10分ほど。教えているのは、担任の先生ではなく、若い白人男性(ネイティヴなのだろう)の先生である。子どもを一名指名し、黒板に描いたマトリクスのなかからひとつを、その子に選ばせる。選んだ場所におうじて、あらかじめ設定されていた問題が出題される。「動物の名前を二つあげて」とか、カードに描かれた顔の部位を英語で答えるといったぐあい。指名された子どもは背後にいるじぶんの所属するチームの仲間に相談しながら、「ドッグズ・アンド・キャッツ」とか、「アイズ」「ティース」というように答える。正解であれば、先生が盛大にほめてくれるというしかけだ。

さて、何人目かに、わが長男が指命された。かれはつぎのような行動をとった。まず、指命されてしばらく、気がつかないようなふりをして、まわりをきょろきょろしたのち、え、ぼく? という表情をしてみせてから、ようやく立ちあがった。ここまでに、ゆうに2分は費やしている。

先生から質問が出された。「ニュージーランドと日本、どちらが大きい?」というものだ。もちろん英語で。わが長男は理解できないようだった。かれはそもそも英語がわからないうえに、ニュージーランドがどこに位置するどんな国かという地理的な知識ももちあわせていなかったのだろう。わからないのもやむをえない。

すると長男のチームのメンバーたちが背後から口々に勝手な「答え」を教えはじめた。ところがその子たちもまた、質問の意味がよく理解できていない。ひとり立たせられている長男は、質問に答えることなく、うしろを向いて「え? え?」などといっている。チームメンバーのひとりが「ベッカム」と言った。むろん冗談である。先生が、回答をうながした。窮した長男は、メンバーの言葉どおり、ややうつむき加減の格好で答えた。「ベッカム」。

先生は、一瞬たじろいだ。だが辛抱づよく、そのままもう一度答えるよう促してくれた。再びうしろのメンバーたちががやがや言う声に助けを借りて、だいぶ時間をかけてからようやく小さな声で答えた。声が小さかったので、教室のうしろに立っていたぼくには聞きとれなかった。だが、どうやら正解だったらしい。先生はそれでもほめてくれた。いい先生だ。こうして長男は、なんとか着席することができた。

この小さな出来事ひとつから、さまざまなことを学ぶことができるだろう。そのうちのひとつには、これが「決めること」を繰り延べたり、決定の当事者を曖昧にして、責任を回避するという、ぼくたちのまわりで一般的な習俗そのものであるという指摘があげられてよいはずだ。かれのこのような行動をぼくは初めて見た。あとで本人に訊ねたら、いつもはあんなふうにはならないんだと抗弁していた。そういえば、長男だけではなく、何人もの子どもが類似の振る舞いを見せたのだった。

小学校高学年ごろに、このような態度習俗を身につける──ものかどうかは、なんともわからない。どのようなメカニズムがこのような態度の継承撒布を支えているのかも、さっぱりわからない。いずれにせよ、小学六年生で早くもこの習俗が見られるという、ひとつの事例ではある。

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