夏の Scripta

『Scripta』第4号が届いた。今号は明るい青色の表紙だ。

ぼくの連載「機械と身体の縫合域」では、今回は島田ゆかさんの絵本『バムとケロのおかいもの』の助けを借りて、「買い物」というフィールドを探索している。これはさらに次号へとつづく予定だ。同誌は紀伊國屋書店の店頭で無料で配られている。機会があればぜひ手にとってみてください。

同号には都築響一さんのエッセイも掲載されている。自費出版についてちらりと触れておられ、興味深い。面白い企画であればあるほど出してくれる出版社が見つからず、けっきょくじぶんで出版社をつくって本を出した、という。形式上はどうあれ、実質的に自費出版であることに変わりない。

出版業界のひとびともしばしば誤解しているのだが、自費出版は別段、出版産業のそれよりも劣る「シロウト出版」を意味するのではない。そこから生まれてくるものは、たしかに玉石混淆であるかもしれないが、それをいうなら出版産業の生産物も同様だ。歴史的に見れば明らかなように、自費出版とは元来、すべてのリスクを著者が負う代わりに、とにかくなにをやっても誰からも文句をいわれないという自由でアナーキーな場のことをいう。読み手の側からいえば、稀とはいえ、予想もしない形で想像域外の「玉」に出会ってしまえることが、自費出版のダイナミズムなのだ。その他の膨大な「石」にしても、当事者やその周辺にとってみれば、かけがえのない「玉」であるに違いない。

だが、ある種の出版社から見れば、自費出版はおいしい商売だ。なにしろ、本来であれば山ほど背負い込まなければならないはずのリスクは、一切合切すべて書き手が負ってくれる。自費出版の出版社が注力するのは、むしろその書き手がせいぜい一時「作家気分」に浸れるようなサービスであるだろう。そうした態度は、出版者や編集者のものというより、むしろホスピタリティ溢れるサービス産業従事者のそれに近い。自費出版をますます煽る出版社が少なくないのは、当然それだけの理由がある。

──というようなことを、先日、日経新聞の取材で話していたところだった。「自費出版」に目をつけるとは、記者の方の視点はさすがに鋭い。「出版学」ではまったく視野からこぼれ落ちているようだが、ぼくが出版をメディア論的に研究しようという若い大学院生だったなら、まず最初に考えるであろうテーマのひとつである。(なおこのときの記事は、6月18日(月)の日経夕刊文化面に掲載された。)