公開前になにかと話題になったが、ふつうのドキュメンタリー映画である。リ・イン監督の立場は明瞭で一貫している。だが、まっとうなドキュメンタリーがすべてそうであるように、特定のイデオロギーで一個の作品を単純に白か黒かに弁別しようとしても、不毛なだけだ。
スクリーンには、毎年8月15日に靖国神社で生起するさまざまな光景が映しだされる。その光景は、いずれも暴力によって髄まで浸透されている。
旧日本軍の軍服を着て隊列を組み参拝するひとびと。多分にカメラを意識したかれらのふるまいに、拍手を送る「一般」の参拝客。小泉支持のプラカードと星条旗を掲げる米国人。かれに話しかけビラ配りを手伝う日本人参拝客。逆に、ここは星条旗を掲げる場所ではないと意見したり、ここから出ていけと迫るひとびと。合祀反対の抗議に訪れる台湾・韓国などの遺族たち。追悼集会に乱入して抗議のアジテーションをする若者たち。かれらに「中国人か? 中国に帰れ」と迫って袋だたきにする参列者たち。その若者は、保護した警官にたいして、こんな怪我はなんともありませんといって、みずからの政治的主張を声高にくりかえす。……
靖国神社にかかわるひとびとは、その立場や信条にかかわらず、その言動が暴力におかされてゆくという点において共通する。ふるまいも言葉も類型化され、ただちぎっては乱暴に投げつけられるばかりで、けっして切り結ばれることはない。
暴力にとことん浸透された光景のあいだに挟み込まれるのが、現役最高齢の刀匠の姿である。
靖国神社の御神体は日本刀であり(神社側の公式見解は少しちがうらしい)、戦時中、「靖国刀」とよばれる軍刀が多数鋳造され、軍人に与えられた。刀匠は、その靖国刀をあらためて鋳造しようとしているのだ。鉄を熱し、たたき、靖国刀を仕上げてゆく。刀匠の姿は職人らしく黙々として、鋳造という仕事に徹底して忠実である。
その寡黙で静謐な忠実さは、8月15日の靖国神社境内を満たす絶望的な暴力とは、著しい対照をなす。しかし、最後の靖国刀がついに完成したとき、まさにその靖国刀において両者は合一する。その様相に、過去においても現在においても、ナショナリズムがひとびとの生を二重に強奪してゆく酷薄なさまを見出すことができる。
一部発言が聞き取りにくい。英語字幕付きだったので、それを助けにした。観客の年齢層は全体に高め。あとで、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』を観たときの雰囲気に似ていたとおもいあたった。