映画『ヤング@ハート』

音楽やダンスがアイデンティティの再構築をもたらす──という図式は、音楽をフィーチャーした映画に好んで扱われる典型的なモティーフのひとつである。最近たてつづけにその手の作品を観た。

まず『ヤング@ハート』(スティーヴン・ウォーカー監督)だ。世評はずいぶん高く、じっさい良い作品である。ただし、もともと質の高い英米のドキュメンタリーのなかでは、良質ではあるが傑出しているというほどでもない、というくらいだろう。

平均年齢80歳。現代日本ふうにいうならば「後期高齢者」からなるコーラス隊ヤング@ハート。かれらが、自身にとってけっして親和的ではないロック(それもソウルやパンクなど)を猛練習によって習得し、仲間の死をも乗り越えて、コンサートで見事にうたいきるまでの数カ月を描く。

それは生と死が裏表であるとリアルに感じとること、「生」を生きることであるのと同時に、さほど遠くない将来に確実に待ちうける「死」をうけいれてゆく過程でもある。

作品を観るかぎり、このコーラス隊ヤング@ハートの肝は、高齢のメンバーというよりも、演出家ボブ・シルマンにある。このプロジェクトをたちあげたのもかれならば、以来ずっとプロモートしてきているのもかれなのだという。一見すると老人たちを食いものにしているかにも疑われかねないのだが、かれの考えはもっと違うところにあるようだ。

かれは、ふだんクラシックしか聴かないようなメンバーにあえてロックをうたわそうとする。「後期高齢者」たちがその歌をじぶんのものにするには、並大抵ではない困難がともなう。だがそれがひとたび実現されたのなら、音楽は従来とまったく異なる意味を帯びて輝きはじめる。だから音楽の側からみれば、本作品は一個のロックミュージックが新しく生まれ変わる過程そのものだということもできる。それはひとつの魔法だといってもよい。

ヤング@ハートはその意味で、「後期老齢者」たちの老後の慰みなのではまったくない。練習は厳しく、ダメとなれば出番は切り捨てられる。その厳しさと烈しさのなかでこそユーモアは意味をもち、メンバーは自身のためにうたうというより、観客によろこんでもらうためにこそうたうのだと言うようになる。その実相にわたしたちは、「成長」という言葉のより多様な意味を教えられるだろう。

途中でPVふうのシーンが差しはさまれる。酸素吸入のパイプにつながれた長老格のメンバーが、ヤング@ハートからの引退を決意して、パソコンにメッセージを吹き込む場面が印象に残る。