映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』

WBC、優勝おめでとう。延長に入ってからは、もうテレビを見ていられませんでした。

さて、このところ観た映画のなかで、予想外に(といっては失礼なのだが)面白かったのがこの作品である。二度観た。シリーズ第一作『チーム・バチスタの栄光』は原作を読んだだけで映画は未見。それでも基本的に不自由しない。

何がよいといって、脚本がよい。原作の主題とエピソードを活かしつつ、しかし映画向けに力点をずらしてつくり替えている。結果的に外してしまう例が圧倒的に多いのだが、本作品はツボにはまったケースだ。

もちろん、何もかもがすばらしいわけではない。あまりといえばあんまりな安易な展開におどろかされたり、やたらに大仰でわかりやすいテレビドラマ的場面を延々見せられたり、また原作の膨らみのある人物造形がずいぶん削られているのに落胆したりもする。

しかし、よい面と困った面とを秤にかければ、前者のほうにがくんと傾くことはまちがいない。それに、小説は小説、映画は映画と考えるべきだろう。とくに山場となる場面のいかにも医療ものの娯楽大作的スペクタクルの質は、類似の主題の他作品(最近の作品ではたとえば『感染列島』)とは比べものにならない出来映えだ。

もうひとつのポイントは人物である。竹内結子と阿部寛のふたりの人物造形はかなりフラット化されているが(ほとんど『トリック』ですな)、圧倒的な存在感を発揮するのは、堺雅人の「ジェネラル・ルージュ」である。

堺は、何をやっても堺にしかみえないという意味で器用なタイプではない。でありながら、それでもその役は堺でなければならなかったのだという印象を残す。そこがユニークなところだ。原作を読みかえし、そこで「速水晃一」の外見がどう描写されていようと、もう堺の姿しか思い浮かべることができないだろう。羽田美智子や山本太郎ら脇を固める面々もよい。

娯楽作品なので、紆余曲折ののち最終的にはきれいに物語は綴じられる。だがそのとき、主題である救急医療の現場が直面する絶望的な状況という問題の大きさと深さは、観る者の心に確実に届けられているだろう。