ラーメンガールとホノカアボーイ

前者は2月に観た。後者は最近観たばかり。たんに行き当たりばったりに観たにすぎないのだが、あとから考えみれば、双子のような作品である。

前者は、米国から日本へやってきて、ラーメン屋で修業することになる二十代半ばの女性が主人公。後者は、日本から米国(ハワイ)へやってきて、日系人の多く住む小さな街に棲みつく二十代半ばの男性が主人公だ。

前者は辟易するほどやたらアグレッシブに日本文化に突撃し、後者は(金玉ついてんのかといいたくなるくらい)パッシヴにハワイの日系人コミュニティの外側を周回する。

前者は、米国人が異文化である日本のなかに入って撮られたもの。職人気質の西田敏行の姿からは、ひたすら意味不明に怒鳴り散らす不気味さが拭えない。後者は、日本人が異文化であるはずの米国で撮られながら、そこに描かれるのは、ほとんど観念のなかでしかありえない「ハワイ」である。そこでの「異文化」は、ただひたすら「自己」を「癒し」てくれる便利な外部でしかない。

どちらも「異文化で自己発見」の過程を描く。どちらも「日常的な食べ物」に、「異文化」と「自己発見」を媒介する重要なアイテムという地位を与えている。そして、どちらもどこかしら根本的なところで、軸がずれている。ゼロ点調整がうまくいっていないみたいだ。

その結果、「異文化」をじぶんにとって都合のよいものとして表象してしまっている。だから異文化が無条件に与えてくれたり、あるいは異文化から無条件に収奪してよいものであるかのように見え、そうして「発見」される「自己」がひどくエゴイスティックなものに見えてしまう。

この2作品は、まったく同型の問題を露呈しているという意味においても、双子的である。「異文化」との邂逅というのは、よくある主題だ。だが舐めてかかると、逆にそのむずかしさや残酷さ、何より作り手自身の態度があからさまに強調されてしまう。

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