SSDでのレクチャーの翌日、ひとりで石巻を歩いてきた。東北の、「被災地」とよばれる地域を訪れるのは初めてである。ボランティアや復興支援といった立派なことではまったくない。ただ歩き、ただ見てきた。それだけだ。
雪降る仙台から仙石線に乗った。
途中不通区間があるため、松島海岸駅から矢本駅までは代行バスに乗り換える。バスは仙石線ぞいの国道を走った。乗客は多くはない。大半は地元の方のように見受けられた。黙って雪の車窓に目をやっていた。電車は1時間に2本、バスは1時間に1本。その待ち時間も含めて、仙台から石巻まで2時間半かかけ、到着したのは正午前だった。
石巻も雪がちらついていた。
石巻駅前にピンク色の大きな建物が建っている。市役所である。元はデパートで、撤退後に市役所が入ったのだそうだ。駅前には、キャリーをひきずったスーツの一団(他の行政からの支援だろうか)や、デイパックを背負った一団(ボランティアだろうか)の姿があった。
アーケードのある商店街を歩く。何軒ものお店があって、それぞれお客さんが入って、まずまず賑わっていた。一方で、シャッターを閉じたり、コンパネでウインドーをふさいだ状態の店舗もあった。場所を変えて営業していますという貼り紙や、震災の影響で休業中ですという貼り紙も見かけた。励ましの寄せ書きが張りだされている店もあった。
アーケード街を右に折れて、飲み屋街を歩く。店舗はほとんどが閉まっていた。昼間だから、ある意味では当たり前であるかもしれない。空き店舗のうちいくつかは、支援団体が活動拠点にしているようだった。
さらに歩くと、旧北上川にぶつかった。津波はここを数十kmも遡上したのだと聞いている。ここから南側に行くにつれ、地震にくわえて津波の被害が顕著であり、別種の被害の深刻さをもたらしているようにおもわれた。
急設した排水ポンプがものすごい勢いで水を吐きだしていた。川の水面は高い。堤防のすぐ下まで来ている。川の向こう側に、石ノ森萬画館が建っていた(再開に向け休館中とのこと)。あちこちで復旧復興の工事がおこなわれていた。
右手に小高い丘があり、住宅が建っている。あれが日和山だろうか。その稜線をまわり込むようにして、旧北上川は流れている。流れとは逆に海のほうへ向けて、川沿いを南に歩いてみた。
右手の日和山の南斜面が途切れるあたりまで来る。急に視界がひらけた。
ただ野がひろがっているばかりだった。9カ月前までは多くの住宅が建ち、多くのひとびとが住み、それと同じ数の生活が息づいていたであろうに、家も人もほとんど姿が見えなかった。被災した建物はすでに大半が解体されたり片づけられたりしたようであった。地形的には、日和山の南側は海に向かって低地がひろがっている。遮るものがない。津波は直接襲ってきただろう。
信号機や標識の類は根元からねじまげられていた。コンクリート製の電柱はぽっきり折れて倒れていた。
巨大な石巻市民病院の建物が、大破したまま残されていた。雑草が生え、荒れ放題だ。隣地の一部が大きく陥没し、水が溜まって池のようになっていた。