東京が今年初めての真夏日を迎えた午後、上野公園で貼り紙の悉皆調査をおこなった。
上野公園のなかにある看板と貼り紙を漏れなく記録しようというもの。ゼミの一環として実施した。
下見や事前の勉強はもちろん、区画割りからチーム編成、チェックリスト作成など、ゼミ生がどんどん自力で進めてくれたし、当日もそんな調子で作業が進展した。ぼくはもう、おまけみたいなものだ。
実際に上野公園を歩いてみると、貼り紙の類は思いのほか少ないことに気づかされる。そもそも貼られること自体が少ないのか、貼りつけられてもすぐに剥がされてしまうのか。
しかし公園から一歩外へでると、そこには貼り紙だらけといっていいような世界がひろがっている。園内とは対照的である。上野公園のなかは思った以上に管理が進んでいるということかもしれない。
本日みかけた最大の「貼り紙」が、これ。東照宮の社殿の実物大(なのかな?)の絵だ。
工事中の社殿を覆う保護シート上に描かれている。シートはやわらかい材質の布状のものらしい。風が吹くとこの「社殿」はゆっくりと波打つ。もはやハリボテ以前、書き割りとさえよびにくい。
貼り紙以外の思わぬ発見もあった。彰義隊墓付近を調査していたゼミ生が、献花台におそなえしてある二つの花束に目をとめた。いまでもこうしてお花が生けてあるのだと感心しかかった。だがよく見ると、いずれも造花であった。
献花台の脇には、ごくふつうのポリバケツがあり、そこにも花束がさしてあった。バケツには水まで張ってある。
これも造花だった。「演出」なのか、何かべつの理由があるのか、それはわからないのだが。
看板とはある種公式的なものである。それに比べて貼り紙は、しばしば手仕事的につくられ、ずっと私的な性格が強い。それは公式的なものどうしの間隙を見出し、埋め合わせてゆくような側面をもっているといえるだろう。
今回集めた記録は、地図に落としてみるつもり。貼り紙の種類や密度が公園内の他の要素とどんな関係になっているかが浮かびあがってくるかもしれない。