W800で潮岬へゆく(2)──十津川村・日置川原発計画地・潮岬

潮岬への往路のつづき。

尾鷲市内のすき家で朝食をとった。この時間にひらいているお店はほかになさそうだった。寒くてたまらなかったので、温かそうな「とん汁まぜのっけ定食」というのにした。380円(+税)。

尾鷲から海沿いのR311へ。しかし睡魔に襲われて、どうにもならなくなった。目についた小公園のようなところにWを停めた。脇にあった木陰のベンチに横になり、しばらく眠る。

パッカーンという火縄銃を撃つような音がして目が覚めた。停まっていたタクシーの運転手のおじさんがいうには、石を船に積み込む音なのだそうだ。このあたりの地質は岩だらけで、トンネルを掘ると難工事になるほどの石の産地なのだという。山から切りだした石を船に積んで運び出す。埋立などにつかわれるのだそうだ。なるほど、ひっきりなしにダンプが往来している。

さっきは睡魔に負けてそれどころではなかったが、見まわすと、ここはなかなか穏やかないい感じの場所であった。賀田という地名である。

1分走ると、飛鳥神社があった。小ぶりながら、落ち着いた雰囲気の神社だった。

R311は、海岸も走れば、高台から海を見渡す場所もあり、気分のよいルートである。リアス式海岸の地形をそのままトレースするようなふうに道ができている。こういう道はWで走るのにとてもふさわしい。

国道番号のシールがガードレールの端部に貼られているのを、しばしば見かけた。

熊野でいったんR42に復帰した。熊野灘をのぞむ砂浜にたくさんのこいのぼりが泳いでいた。

右折してまたR311へ。こんどは内陸部へわけいってゆく。県境を越え奈良県十津川村に入る。くねくねと山を縫うように走る狭路。

途中、道路が崩落して工事中の箇所があった。

すると、こんな場所に出た(0935)。

北山川がUの字形に屈曲するちょうど頂点に位置した高台であった。ベンチとテーブルがおかれていた。Wを停めて、しばらく景色をながめていた。

四国の祖谷の風景が思い出される。山はけっして高くはないが谷が深く、傾斜地に石積みを組んで家々が建ち、畑がつくられている。よく似ている。ここからながめた風景が今回いちばん印象に残っている。

ながめているうち、奧からジェット船がやってきた。熊野川から遡上してきたのだろう。予想外のことで、ちょっとびっくりした。

このすぐ先でR169に合流した。R169もしばらくは狭路であったが、工事がすすんでおり、いずれ快走路に付け変わるようであった。R168に入ると完全に快走路であった。

まもなく熊野大社本宮に到着した(1030)。バイクを指定された場所に停めて、参拝した。

平安時代の熊野詣(?)っぽい衣裳を着たひとがいた。観光客と一緒に記念撮影をして、その写真を販売するという商売であるようだ(ちがうかもしれない)。

中国人観光客の団体さんがいて、よくわからないなりに柏手を打っていた。えらく立派な案内所も建っていた。あんがい賑やかなところであった。

熊野は世界遺産に登録されていたのだった。ようやくそのことを思い出した。そういえば、ここまでの道すがら、各所に「熊野古道」の案内がでていた。いずれ歩いてみたいが、こんな勢いで混雑しているのではなあ……。

熊野大社本宮ちかくにある日本一の鳥居、だそうである。中央に八咫烏が記されている。

R311を西進。和歌山県に入り、白浜でR42にぶつかり、左折。右手に太平洋を海を見ながら南下する。

途中、日置川原発の計画地だったあたりを実見する。むろん、いまそこには特別変わったものは何もない。もちろんPR施設もない。リアスの海と山と、そしてひとの生活があるばかりである。

海からの風がものすごく、Wはあおられまくり。睡魔も襲ってくる。そうこうしているうちに、ようやく潮岬に到着した。岬の碑にも灯台にも寄らず、キャンプ場に直行した(1415)。千葉を出発してからほぼ丸24時間が経過していた。走行距離は816kmだった。

潮岬キャンプ場は、ふだんは無料だが、GWとて有料であった。といっても600円である。仮設テントに管理のおばさんが常駐している。受付をすると、ゴミ袋2枚(燃えるゴミと空き缶用)と串本市内のお店マップをくれる。

サイトは「望桜の芝」と名づけられた広々とした草地。気持ちのいい場所である。ただ、あいにく猛烈な風が吹いている。松林で風の防げそうなところにテントを張った。張り綱まですべてペグダウンすると、テントの動揺はぴたりと収まった。

見るとあちこちに、ぼくのと同じクロノスドーム2型が張られていた。ファミリーキャンパーや団体さんもいたが、ソロのライダーもけっこう多いようだった。個人的にはバイクの旅はソロがいい。集団行動など、したくない。まあ、一緒にゆく友もいないわけだが。

設営後、串本市内にある本州最南端の温泉を謳う「サンゴの湯」に行った。

近くの24時間営業のスーパーで、ビールとサンマの押し寿司とそらまめと刻みキャベツ、それにきゅうりを買って、テントに戻った(1700)。テントの数はだいぶ増えていたが、それでもまだ十分に広々としていた。

暮れるにつれ空の色が変化してゆくさまをながめながら、ビールを飲んだ。

風のあるおかげで、蚊はいなかった。1900には早々にシュラフにもぐり込んだ。

つづく。