ディズニーランドへまた調査にいってきた。今回の主題は「音」。初めての試みである。
詳しい説明は割愛するが、午前中に園内をひととおり歩いて調査地点を決め、午後は複数のチームにわかれ、それぞれの担当エリア内の調査地点で実際に調査をおこなった。調査計画の立案や方法の案出はゼミ生たちが、実験や予行を重ねながら準備した。ぼくも一調査員としてそれにくわわった。
各調査地点では、15分間の調査時間のあいだ、音を録音すると同時に、その間どんな音が聞こえてきたかを用紙に記録しなければならない。ぼくは後者の、記録係を担当した。
実際にやってみると、きわめてしんどい作業だった。15分間の調査の3本目には、早くも集中力が減衰しているのが実感された。しかし調査計画によれば、これを16本実施すなければならない。つまり、単純積算で4時間である。それだけの時間、あのディズニーの空間でひたすら聴覚だけに集中しているのは、じつに拷問に近いということが痛感された。
ふつうの訪問者たちは、いわゆる「気散じ」の状態でここへやってくる。つまり、特定の知覚を突出させるようなことをせず、知覚全体を解放している。その良し悪しが言いたいのではない。それがディズニーランド的空間における知覚的実践の基本形であり、それディズニー的愉しさの基盤をなす身体だということだ。
そしてそれゆえ、ディズニーランドにおいて、今回のように聴覚のみに集中してみせるような知覚のあり方は、通常はほとんど実践されることがないということでもある。それでも、あえて聴覚を突出させてこの空間に身をおいてみると、ディズニーランドという「世界」において、音がどのような作用をもっているかを、身をもって知ることになる。すなわち、音はきわめて強い力でもって訪問者たちに働きかけていることがよくわかる。通常の気散じモードであれば愉しさの基盤となるものが、聴覚に集中した状態で接すると、ひとを芯から疲れさせてしまうのである。
ぼくたちのチームが受け持った区域のなかで、その力の強大さがもっとも顕著に感じられた場所は、入園者が最初に通過しなければならない、ワールドバザールであった。
ここではBGMがかなりの音量で流れている。隣のひととの会話がむずかしいくらいの音量で、ふつうのショッピングセンターのそれとは比べものにならないくらい大きい。しかも、上をガラス屋根で覆われているため、音は複雑に反響して、この空間に充満する。
物売りや訪問者がたてるさまざまな音、機械音などもするのだが、それらはすべて大きなBGMとその反響音によって呑みこまれてしまい、個別に把握することがむずかしい。園内の他の場所では上空を通過する飛行機の音なども聞こえるのだが、ワールドバザールには外部の音は侵入してこない。ここの音環境は単相で、かつ分厚い。
もうひとつ気づかされたのは、調査しているぼくの目の前を通過してゆく訪問者たちの発する言葉である。「ヤバイよヤバイよ」「スゲースゲー」「行くよ行くよ」などといった類のものが大半だということだった。
ワールドバザールが、あえて建築的に狭い空間を通過させることで、そこを抜けた先に拡がる園内をより広く見せる手法であることはよく知られている。
しかし、建築だけでなく、音もやはり同様の役割を担っているようにおもわれた。ワールドバザールは音でもって制圧された空間であり、そのなかを通過するうちに訪問者は、音に包みこまれ、それで一種の麻痺というか陶酔状態になる。そして、パサージュを抜けて広場に出たときに、包みこんでいた音のカプセルが四散して、解放感を感じる、というようなことではないのかと。
調査結果は、ゼミ生たちが整理してまとめ、いずれサイトにあげる予定である。