ジャージーボーイズ

三回観た。この年代の日本人観客としては、まあ珍しい部類に入るだろう。

観ていて、だいたいの曲がおおむねうたえることに気づき(声を出さないようにしてうたっていたわけだが)、じぶんでもおどろいた。

なにしろフランキー・ヴァリとフォーシーズンズといえば、ほぼ物心のつく前、あるいは生まれる以前の話だ。リアルタイムで知っているわけがない。なのに、それなりの知識と関心をもっているのは、大瀧詠一・山下達郎両氏の「ラジオ通信教育」で勉強し、じぶんでも聴いてきたからである。

じっさい、三回とも、客席はおじいさんとおばあさんだらけ。かれらがハイティーンだった時代の大ヒット曲満載なのだから、当然かもしれない。

けれども、米国ではともかく、日本ではいまフォーシーズンズの名前はほとんど忘れられているに近い。以前にロック好きを自認する学生たちに訊いたことがあるが、誰ひとり知らなかった。さすがに「君の瞳に恋してる」の曲くらいは知っていたが、まとめて「オールディーズ」と括られて、おしまい。舞台版も来日しないわけである。

作品は大筋で舞台版を踏襲している。にもかかわらず、ミュージカルというより、どちらかといえば『グレン・ミラー物語』みたいな音楽映画のような印象をうける。

脚本や音楽の選び方・入れ方はよく練られている。映像のほうは、PV以降のミュージカル映画のような派手派手しさはなく、物語と楽曲を前面に押しだそうとして、自己主張を抑えている。それでも、いくつかのシークエンスの切替の鮮やかさなどは、なかなかだとおもう。

全体に、悪くはないのだが、新味に乏しい。クリント・イーストウッド監督作品だからというような期待の仕方でもって観にゆくと、がっかり度が高いかもしれない。

個人的に興味深かったのは、作曲家のボブ・ゴーディオと、プロデューサーのボブ・クリューが大きく取り扱われていたことだ。当人たちが製作に深く関与しているらしいので当然かもしれないのだが。

フランキー・ヴァリやフォーシーズンズの成功・没落・復活の物語が表看板だとすれば、裏の主題は、アメリカンポップス・ロックの歴史におけるこのふたりのボブの顕彰ではないかとおもう。かれらのつくった楽曲がじっさいそれに十二分に値することは、この作品を観ればすぐにわかることだろう。

その原点にあるのが、楽器をつかわず声だけを重ねて、アカペラ・コーラスで音をつくりだすことだ。いわゆるドゥーワップである。そこには、ロックンロールの原初性みたいなものがある。だから、物語がひととおり終わって画面がブラックアウトしたあとに、核心が露わになるようにも見える。

そこからモブで踊るカーテンコール的なシークエンスにつづく。そのラストは、ストップモーションではなく、俳優たちが決めのポーズをしている姿を、カメラはそのまま収めている。主要人物たちをワンショットずつ映してゆく。そして、ボブ・クリュー役のマイク・ドイルが両手をあげてポーズしているショットが映しだされ、作品は終わる。

実在のボブ・クリューは、先月83歳で亡くなったばかり(2014年9月11日)。まったくの偶然なのだが、いまのぼくは、ついつい、この二つの事実を結びつけて考えたくなってしまう。

音楽にかんする知識を知りたければ、パンフレットに所収の萩原健太さんの解説が簡潔ながら要を得ており、たいへん有益である。

公式サイトはこちら。製作にかかわる諸々はこちらが詳しい。

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