植草甚一スクラップ・ブック展

「植草甚一スクラップブック」展を見にいってきた。会場は世田谷文学館。京王線の芦花公園駅から歩いて5分くらいだ。おもった以上に充実した展示だった。

あとから、まわりの学生たちに訊いてみた。誰も植草さんの名前を知らなかった。まあ、そんなものかもしれない。

今日日、映画やミステリーやポピュラー音楽を語ること自体、なんの憚りもなければ新奇性もないが、植草さんはその先駆者のひとりであり、70年代サブカルチャーのアイコンでもあった。

植草さんは生涯をとおして、じぶんの好きなことを好きなようにやりとおした。──というと、気楽なイメージで受けとられることもあるようだが、実際には、そんな生やさしいものではなく、ずいぶん苦労されたはずである。

というのも、かれが、その不思議おじさん的な風貌も相まって一世を風靡したのは、晩年のわずか十年ほどのことだからだ。それまでの長い期間、一定の敬意を払われる存在であったとはいえ、必ずしも十分に認められていたわけではなかった。かれの時代は、まだ「メイン」の権威がそれなりに効力を発揮していた。「サブ」の文化を語ること自体が、ひとつの挑戦でもあった。──などと書くと、ほんとうに遠い時代のような気がしてくる。いまでは、まったく信じられないことだ。

150525uekusa

今回の展示で目を惹かれたのが、かれのスクラップ帳である。

そこには洋雑誌の切り抜きなどが貼りつけられ、植草さんの覚書が書き込まれている。ます目いっぱいをつかってていねいに書かれた、あの独特の文字で、内容の要約や調べたこと、感想などが記されている。映画を観るときは、フィールドノートのようなメモ帖に、主としてショットのつながり方を記す(感想や印象でないところが良い)。そういうノートを、かれはひとりでコツコツつくりつづけてきたのだ。それは、かれの生活の中心にあった「読む」という行為と対になっているかのようだった。

若い頃のノートの大半は、とくに発表のあてなどないままつくられている。何か特定の実務や実益のためというより、そういうノートづくりの作業そのものが、植草さんなりの「世界」の理解の仕方であり、対し方であり、それゆえに自身の存立にかかわるものだったのだろう。後年つくりあげられるあの独特の文体は、そうした地道な作業の気の遠くなるような蓄積によって支えられていたのだと、あらためて教えられた。

近年、植草さんの本が再刊されたりしており、再評価の動きもあるようだ。それがどういうことなのかは、ぼくにはよくわからない。

それにまた、この手の話題になると、たまに「語る資格があるのは、おれだけだ」みたいな発言がせり出してきたりもする。正直どうもあんまりいい気持ちはしない。

でも、この展示にはそうした妙な色合いはない。行ってよかった。できれば会期中にもう一度見てみたい。

  *一部字句修正・補足(150526)

タイトルとURLをコピーしました