うちの会社、うちのゼミ——語・対象・距離

現在のことはとんと知らないのだが、ぼくが最初につとめた出版社の編集部のひとたちは、じぶんの会社のことを「うち」と言わなかった。いつも固有名(会社名)をつかっていた。社外にたいしてだけでなく、社内の人間どうしで話をするときも。

いちど理由を訊ねたら「だって気持ちわるいから」みたいな返事がかえってきたような気もするが、はっきり思い出せない。なにか確固たる信念があってそうしているというよりも、むしろある種の感覚にもとづいた習慣もしくは生活上の信念といったほうが適切だろう。当時の編集部内の雰囲気を象徴する語用であったということもできるかもしれない。

そしてその感覚は、当時のぼくにはなかなかに好ましいものだと感じられた。それが(働くひとという意味での)社会人としての「幼児体験」のひとつである。

なにしろ「幼児体験」なのだから、その影響はちいさくなかったとおもう。ぼくはその後いくつかの組織に属してきたが、現在にいたるまで、いずれにおいても「うち」とよぶ習慣をもたなかった。

もちろん、さすがに一度たりともこの言葉をつかっていない、とまでは言わない。会話の流れで口をついて出たことはある。けれど、たぶんこの25年で多く見積もっても十回あるかないか。いまでも「うちの大学」とか「うちの学科」とは、まずいわない。

ただし「うち」とよぶケースがまったくないわけではない。例外はひとつある。いや、ふたつか。

第一の例外は、家や家族など文字どおりの意味でのじぶんの「うち」のこと。そここそがぼくにとっての「うち」だから。

第二の例外は、じぶんのゼミのことである。文系のばあい、ゼミとは、いってみれば私塾みたいな性質の場である(歴史的に見てもそうだ)。だからそれは、自営業のひとが「うちの店」とよぶのとほとんど同じではないかとおもう。

ただし、こちらの第二の用法を実際に口にすることは、第一の用法にくらべればはるかに少ない。多くのばあいはたんに「ゼミ」と言うか、「長谷川ゼミ」という表現をつかう。「うちのゼミ」というときは、かなり意識的に、あえて選んでつかっているだろう。

ところで、「うち」「そと」にわけるのが日本人独特の社会意識だみたいな話は、かつての日本人論でよく見かけた議論である。そういう議論は学問的な文脈においておこなわれるぶんには一定の意味があるとおもうのだが、俗流化して、だから良いとかダメだとかと言いはじめると、かなり不毛な議論に陥ってしまいがちだ。

「うちのナントカ」という言い方は、日本語においては広く見られる用法であり、じぶんの属する世界を表現することを「うち」と表現するのが日本語世界の感覚なのである。そのこと自体は事実としてまず理解されるべきだろう。

そのなかで、あえてぼくが「うち」という言葉をなるべくつかわないでいるのは、昔の「進歩的」なひとびとがしばしばそうしたように、「うち」を否定することで日本的な社会意識をまちがったものと糾弾したいがゆえではない。先述したように、むしろずっと個人的な次元の問題であり、習慣あるいは生活上の信念みたいなものなのだ。

つまりそれは、対象との距離のとり方にかかわる問題である。じぶんの属する組織を、あえて固有名で表象するという選択は、自己を特定の集団にべったりとくっつけず、遠近はあるとはいえ、つねに一定の(もっとも適切な)距離感を保っておきたいとする態度に結びついている。

もしかしたらそれは、ある種の健全さを失わずにいようとするためのひとつのちいさな技術であるかもしれない。熱狂もニヒリズムも、いずれも特定の対象へのバランスを逸した傾斜から始まるだろうから。

でも同時に、こうした態度は、うっかりすると自家中毒化したり、帰属意識を見失ったり、責任感が希薄になったりする可能性を含んでいないわけでもない。そのあたりは、やはりバランスが肝要というほかないだろう。