素人仕事

素人仕事というのが好きではない。ここで問題にするのは「素人」ではなく「素人仕事」だ。両者は別べつの概念であり、安易に混同してはならない。

ぼくのばあい、素人仕事に遭遇しがちな代表的な場面といえば、大学とか自治体とかナントカ協会といったような、半もしくは全お役所的組織が出す冊子などの仕事である。

たいていは編プロなどに外注しているのだが(そういう丸投げ体質もどうかとおもうのだが)、たまに職員のひとが、こちらの提出した原稿に手を入れてくれたりすることがある。それがまあ、ひどい。つねに、とまではいわないまでも、ほとんどつねに。

こちらの提出した原稿に、編集サイドでチェックを入れる。それ自体は当然のことだし、むしろありがたいことである。むろん異存はない。しかしその仕事の質があまりにも低かったりすると、さすがに「もうちょっとどうにかならんのか」という気持ちになる。

たとえば、てにをはや言い回しなどを勝手に変えておきながら、変更の意図が不明であるため、文章の質をいたずらに低下させていること。事実と異なる文言がいつのまにか勝手に書き加えられるという例もあった。

なかでも困ったのが、ひとの文章に勝手に手を入れたあげく、文章を書いている主体が曖昧にされてしまったケースである。著者なのか編集部なのか外部のライターさんなのか、誰がこの文章に責任をもっているかがよくわからなくなっているのだ。

ぼくにはそういう性質の文章がとても気持ちわるく感じられる。誰の書いた文章であっても、だ。その手の文章にじぶんの名前をつけて世に出すようなことなど絶対にしたくない。だが作業者当人は、なにか「編集」作業をしたような気分でいたのだろうとおもわれる。

作業者当人にしてみれば、もちろん悪意があってしたことではない。しかし「悪気はなかったんです」で済むレベルの話ではないのだ。無知と無責任と意識の低さ、それらの複合体の産物というほかない。悪意がないからこそ、よりたちが悪いともいえる。

あまり「プロ」を連呼するのは個人的には好きではないのだけど、他人様に読んでいただくものをつくろうという以上、一定のプロ意識と責任感、そしてなによりそれに見合うだけの知識と技術を身につけておくべきではないだろうか。少なくとも、それらの獲得と向上をめざして努力を重ねようという姿勢だけは、いついかなる時でもけっして失ってはならないとおもうのだ。

したがって、もっともたちの悪い素人仕事とは、そうした意識やスキルがおのれに欠けているという自覚に乏しい態度が産みだすものを言うだろう。

技術の向上なくして意識の向上はなく、高い意識なくして技術の向上はありえない。どんな仕事であってもそういうものではないのかと、ぼくはおもう。