チェルノブイリと観光のまなざし

HBOが制作したドラマ『チェルノブイリ』が日本でも公開されるという。9月25日(水)から、スターチャンネル(BS10)にて。宣伝しなければならない義理など何もないが、告知しておきます。

チェルノブイリ公式サイト | 映画・海外ドラマのスターチャンネル[BS10]
衝撃の真実を暴く 実録ドラマ

ぼくもこの夏にチェルノブイリへいってきた。アメリカと西ヨーロッパから来た若者で大盛況だった。とくに日帰りツアーは毎日ミニバスを何台もつらねて出発するくらいだった。

ぼくの参加したツアーは、泊りがけプランだったせいか、さいわい参加者はぼくのほか3人だけだった。アメリカ人ひとり、オランダ人ふたりで、いずれも20代の若者だ。かれらはいずれも同ドラマを見てやってきたという。ぼくがドラマを未見だと知ると、「ぜったい見るべき」と強くおすすめされた。

事故をおこした4号炉の現在のようす。事故後につくられたコンクリートの「石棺」が老朽化したため、金属製のシェルターが新設された

あの事故がおきたのは1986年4月26日。33年がすぎ、いまチェルノブイリは、ある意味ではたしかに「観光地」となっている。ぼくがいた7月には、ウクライナの元コメディアンの大統領が、チェルノブイリの観光地化をいっそう推進したいというような発言をしたらしい。ウクライナにしてみれば、貴重な観光資源であり、それで外国人が来てカネを落としてくれるなら、もっと活用しようということだろう。いいかえれば、それだけ当座頼れるものがほかになく、苦しいということでもあろう。

ぼくたちがお世話になったガイドさんは、半分は冗談、半分は自嘲気味に、こういっていた。「ふつう西欧で観光といえば美しくてきれいなところばかりを見せる。でもウクライナでは、廃墟とか粗大ゴミとか、そんなものばっかりだ」

もしかすると、それを「ダークツーリズム」とよぶのかもしれない。観光学でもよくつかわれる用語だが、最近目にしたチェルノブイリにかんする日本語の記事でもこの言葉がつかわれていた。

プリピャチの遊園地跡。プリピャチはチェルノブイリ原発近くの街。事故後に全員避難となり、以後廃墟となっている

「ダーク」って、何なのだろう? 観光において「ダーク」とそうでないものとを区別する必然性が、ぼくにはよく理解できない。「光」をみるのが「観光」で、対象が「光」ではないもの、つまり「美しくてきれい」の対極にあるようなものであるから、それを「ダーク(闇)」とよぶのだろうか?

しかしながら、見る対象ではなく、観光という現象を支えているいわゆる観光客の態度に着目したならば、通常の観光もいわゆるダークツーリズムにも、それほど違いがあるようにはおもわれない。

チェルノブイリの訪問者たちが求めているのは、むしろガイド氏のいう「廃墟とか粗大ゴミ」である。「廃墟」らしい「廃墟」を求め、絵になる「廃墟」に遭遇すると、嬉々として写真を撮る。手元のガイガーカウンターが高線量に反応したりすると、ちょっとワクワクしてしまう。ドラマ『チェルノブイリ』で見たイメージを、そこに見出そうとしているのだ。

防毒ガスマスクの散乱する部屋。冷戦期の旧ソ連では、各学校にガスマスクが配備されていたという

それは、現実からイメージを抽出しようとするのではなく、逆に、ドラマなど諸種の情報メディアをとおして得た「イメージ」を現実に投影しようとする態度、あるいは「まなざし」である。

その意味で、観光とはメディア的な現象である。

そして、その態度ないし「まなざし」は、「美しくてきれい」な「光」を対象とするという「通常」の観光においても完全に共有されている。

つまり、ぼくの考えでは、何かを「観光」の対象と捉える「まなざし」こそが、観光という現象を根本で成り立たせている。裏を返せば、そのような「まなざし」の下では、どんなものだって「観光」の対象になりうる。よしあしはべつとして。

つづく。

自撮りと落書き——観光という現象について
前回の投稿で、チェルノブイリを訪れたことに関連して、観光という現象に、「光」をみるものと、いわゆるダーク(闇)ツーリズムのようなものとに区分する根拠は必ずしも自明ではない、なぜなら、観光地を訪れる観光客の態度ないし「まなざし」は、メディア化...
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