アトラクションの源流を歩く——プラーター公園の観覧車とミュージアム 1/3

遊園地や遊戯機械(アトラクション)は、テクノロジーと身体が結びついた新たな経験をとおして、身体と知覚を改変・再編成してゆく代表的な場所であった。拙著『ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか』のなかでも述べたとおり、ぼくはそう考えている。

空間やその背後にあるイデオロギーについては建築史、美術史、社会学などの諸分野で既往の蓄積がかなりあるが、テクノロジーと身体との結びつきやそれらの運動のあり方(日常的実践)に焦点をあわせたような知見は必ずしも多くはない。「アトラクション」概念に見られるようなぼくの問題関心の新規性(それは反面「分かりにくさ」でもあろうが)は、そのあたりにあるだろう。

近代的な意味での遊園地が成立するのは19世紀ヨーロッパ。その最初期の代表的な例がウィーンのプラーター公園である。というわけで、ウィーン滞在中にトラムを乗り継いでプラーターへ行ってみた。

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駅を抜けると、広大な公園の手前の区画が遊園地になっていた。遊園地の入場料は不要で、アトラクションごとに料金がかかるしくみ。

プラーターといえば、映画『第三の男』(1949)である。第二次世界大戦で破壊されたウィーンの街は、米英仏ソの四カ国に分割統治されていた。作品中で象徴的につかわれて有名になったのが、この観覧車だ。

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こうしてみると、日本のそれとは違い、キャビンがかなり大きい。小部屋ほどもあろうかという勢いだ。以前に見たシンガポール・フライヤーのそれほどではないとはいえ、こんなふうに大きなキャビンをもった観覧車は日本ではなかなか見かけない。

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園内にはもうひとつ、新しい観覧車もあった。こちらのキャビンは小ぶりである。

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新旧の観覧車の位置関係はこんな感じだ。

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観覧車には乗らなかった。だがあとでウィーンの友人に、とくに古いほうの観覧車にはぜひ乗るべきだよと叱られた。つぎに行ったときに乗りますから。

遊園地内には、新旧さまざまなアトラクションが設置されていた。

これはバーチカル・スウィング。年代物である。

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バーチカル・スウィングは旋回塔の一種だ。旋回塔は水平方向へ円運動するだけだが、バーチカル・スウィングはそのとき同時に上下に動く。

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アトラクションは、一見するといろんなバリエーションが多様にあふれているように見えるが、それらはほとんど設定とか装飾のレベルの話である。機械の運動(動きのパターン)という観点から見れば、じつはバリエーションはそれほど多くはない。

園内はそれなりに混んでいた。レストランもあって、早くもビールを飲んでいる観光客の姿もあった。

アトラクションの配置の仕方はかなり行き当たりばったり感が強い。ディズニーランドのように、区画をさだめてテーマを設定するなどというようなことはない。ただ、テーマパーク以前の遊園地がどこもそうだったかというと、それは事実ではないので、注意しておく必要がある。

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こちらはトイレ。こんなふうに、かなり古そうな施設も散見された。これも歴史ある所以であろう。

その2へつづく。

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