「みんなでうたおうホワイト・クリスマス」(Sing-Along White Christmas) へ行ってきた。サンクスギビング翌日の金曜日の夕方、場所はアナーバーのダウンタウンのアイコン的存在であるミシガンシアターである。
ビング・クロスビーとダニー・ケイの映画『ホワイト・クリスマス』(1954年)を観ながら、劇中歌を観客みんなでうたおうという企画だ。ほとんど冗談のようにしかおもわれないのだが、ときどきおこなわれているようである。『ホワイト・クリスマス』は今年ですでに9回目だというし、このあと別日には『アナと雪の女王』でも同様の企画が予定されている。
サンタ帽をかぶった観客たち
上映一時間前に到着した。チケット売り場も入場口も長蛇の列だった。ミシガンシアターにこんなにお客さんが集まっているのを、ぼくは初めて見た。
入場すると小さなパンフレットとビニール袋を手渡される。赤いビニール袋のなかには、紙でできたサンタ帽と、その他こまごましたグッズが入っている。上映中にこれらを活用するらしい。
場内は満員に近く、お客さんたちはみなそのサンタ帽をかぶってご機嫌である。サンタ帽とともに写真を撮りあったりしていた。
ひとりで来ていたのは、ぼくくらいだったかもしれない。ま、いつものことだ。
上映に先だってクリスマス・ソングの合唱大会
上映は1930からだが、それに先だつ1900すぎから、ミシガンシアター名物のオルガンの演奏にあわせて、クリスマスソングの合唱大会が始まった。ステージの上にはサンタの衣装を着たおねえさんがあらわれて、音頭をとる。観客たちは元気よくうたう。手をふったり、合いの手を入れたり。
入場時に配られたパンフレットは歌詞集だった。定番のクリスマス・ソングばかり全部で23曲が収められている。そういえば、ぼくはクリスマス・ソング評論家なのだった。せっかくなのでリストをあげておこう(掲載順)。
- White Christmas
- Deck the Halls
- O Christmas Tree
- The Christmas Song (Chestnuts Roasting on an Open Fire)
- Have Yourself a Merry Little Christmas
- I’ll Be Home for Christmas
- We Need a Little Christmas
- Rocking’ around the Christmas Tree
- Rudolph the Red-Nosed Reindeer
- I Sow Mommy Kissing Santa Claus
- Here Comes Santa Claus
- Santa Claus is Coming to Town
- Holly Jolly Christmas
- Frosty the Snowman
- It’s Beginning to Look a Lot Like Christmas
- Jingle Bells
- Let It Snow
- Sleigh Ride
- Jingle Bell Rock
- It’s the Most Wonderful Time of the Year
- The Chipmunk Song (Christmas Don’t Be Late)
- Winter Wonderland
- Silver Bells
全曲うたい終わると、コスプレ(?)大会。映画『ホワイト・クリスマス』の登場人物と同じ衣装を来てきた観客がいて、かれらが壇上にあげられる。ステージ一杯になるくらいのひとがならんだ。壇上にただならんでみせるだけなのだが。
コスプレ大会が終わると、ようやく上映である。
Sing-Along仕様の字幕
フィルム(実際にはおそらくデジタル上映)はどうもSing-Along仕様らしい。歌の場面になるとタイトルと歌詞が字幕で出る。それを見ながら観客たちも合唱する。カラオケみたいなものだ。
さらに、つぎはナントカを用意、みたいな指示も字幕で出される。客たちはそれにあわせて、最初にもらった袋のなかに入っている小物グッズをとりだして、指示にあわせてつかってみせる。どれも安物で、光る棒(ぼくのはなぜか光らなかった)、プラスチックのカスタネットみたいなもの、ティッシュ、シャボン玉、ミニクラッカーなど。たとえば、マリー・ウィクスの家政婦が決まってハンカチをとりだすのだが、そのときにはティッシュを出すように指示が出る。観客たちはそれにしたがってティッシュを出し、ひらひらと律儀に振ってみせる。
また、製作時のミスで、前のショットとつぎのショットで小物の位置が不整合だったりする点についても、注意喚起の字幕がでる。たとえば列車の場面(このあと “Snow” をうたう)、スーツケースが途中で消えてしまったり、卓上のメニューの向きがちがっていたり。観客たちはいちいち笑う。
ようするに、みんなこの映画のことは隅から隅までよく知っている、というのが前提なのだ。『ホワイト・クリスマス』はこの季節になるとアメリカでは必ずといっていいくらい各地で上映される。だからこの映画を見に来るという行為は、すでに周知のことを確認するとともに、その「お約束」を愉しんでいるわけだ。日本でいえば『天空の城ラピュタ』のテレビ放映のときの「バルス祭り」みたいなものである。
テクノロジーの物語としてのホワイト・クリスマス2作
ぼくが『ホワイト・クリスマス』を観るのはひさしぶりだ。あいかわらず(この頃の)ローズマリー・クルーニーは美人だなあとおもう。ヴェラ=エレンがダニー・ケイと波止場で踊る場面もすばらしい。ディーン・ジャガーの将軍の退役後の落ちぶれぐあいも味があっていい。ダンス場面ではりきって踊るジョン・ブラシア(このひとを見るとぼくはどうしても以前のF1レーサーの鈴木亜久里氏を思い浮かべてしまう)や、ローズマリー・クルーニーと一緒に踊るジョージ・チャキリスも見られる。
最後の大団円のときに客席は喝采する。ただ個人的にはそこの感覚がいまいちよくわからない。物語のトーンを枠づけているのは軍隊生活万歳的なものであるからだ。ミュージカルと軍隊の結びつきはよくあるものなので、そのこと自体は問題ではないのだが。
興味深いのは、この時代(1954年)にニューメディアとして社会を席巻していたテクノロジーであるテレビが大きな役割を果たすという点である。
この映画は、当然ながら「ホワイト・クリスマス」というアービング・バーリンの曲が初めてつかわれた映画『スイング・ホテル』(1942年)を、陰に陽に参照している。『スイング・ホテル』のとくに後半では、人間の心理状態を、映画というテクノロジーでもって文字どおり「再生」するようすが描かれている。
すなわち「ホワイト・クリスマス」とビング・クロスビーを媒介としてつながっているこれら二つの作品は、テクノロジーにかんするある種の思想が含まれた一連のテキストとして把握することができる、というのがぼくの考えである。そのうち機会があればちゃんと書こう、うん。
ホワイト・ホワイト・クリスマス
さて、上映のさいごに、すばらしいクリスマスシーズンをお迎えくださいみたいな字幕がでる。サンクスギビングの終了はそのままクリスマスシーズンの始まりでもあるということらしい。
観客たちはみな満足げな表情で会場からでてゆく。ぼくが見たかぎりでは、観客の年齢層は子どもから年配の方まで多様だったが、黒人や、ぼくも含めたアジア系はそれぞれ数名ほどしかおらず、ほぼ全員が白人だった。
そういえば、映画のなかに出てくるのも白人ばかりだ。——だから「ホワイト・クリスマス」なのか。