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映画『借りぐらしのアリエッティ』

ひさしぶりに《あ》と《くんくん》と一緒に観に行った。いちおう夏休みらしいこともせねばね。

ジブリの新人監督デビュー作といえば過去の例からみて一種の鬼門なのだが、今回の米林宏昌監督は、まずまず健闘していたというのがぼくの意見である。

正直にいって特別な新味があるわけではない。ないのではあるが、昨今の多くの子ども向け作品のように安易に「魔法」に頼ったりすることなく、とにかく実直に登場人物の心情を表現することに心を砕いていた。心情を描くうえでは、たとえば人物の表情やしぐさだけではなく、草花や雨や物音など、映画的なさまざまな表象の描き方を駆使する必要があるし、ショットとショットのつなぎ方にも、工夫が必要だ。こうした点にかんしては、どれも類型的な描き方であるとはいえ、まずまず成功していたといえる。

しかし物語の語り方がぎこちない。前半はひじょうにまどろっこしい。ディテールを見せたいのはわかるが、話のほうがなかなか見えてこない。中盤以降は一転して話を急ぎすぎる。展開を語るのに忙しく、また場面の描写が不足するぶんを台詞で補うので、芝居というより説明がちになってしまう。アリエッティの母やスピラーなどは、ほとんど話を展開させる都合上登場したとしかおもえない扱われ方だ。結果として、少年にせよアリエッティにせよ、かれらがなぜ成長するのか、その内面の変化のポイントがよくわからない。

いろいろと見せてくれる凝ったディテールを、もっと物語にからめて活かしたほうが、物語がくっきりと立ったのではないか。たとえば髪をとめるクリップやまち針などは、重要なアイテムなのだから、やはりきちんと伏線を張るべきだとおもう。

原作『床下の小人たち』については、ぼくは未読だが、《あ》は子ども時代からの筋金入りの愛読者。彼女の感想は、いまひとつのれなかった、というものだった。原作でおもしろかったのは小人たちの生活のディテールだった。たしかに映画でもそこを重点的に描いているのだが、ディテールを扱うスタンスがちがい、ただの舞台設定に退いていた。そこが駄目だったという。なかなか手厳しい。