写真で見る創造博物館 Creation Museum 2/3

写真で見る創造博物館。前回はエントランスから最初の動画とプラネタリウムまでを紹介した。今回は展示を見てゆく。

先日も告知させていただいたとおり、『情報管理』誌に発表したエッセイで、ケンタッキーにある創造博物館 (Creation Museum) について書いた。ここでは同館でぼくが撮影してきた多数の写真のなかからいくつか選び、同館のようすを紹介してみたい。長くなったので3回にわける。

創造論のパースペクティヴ

展示は順路が決まっていて、基本的にはその順に見ることしかできない。客は多くて混雑している。

最初は恐竜発掘のジオラマ。化石を掘っている人物は人形である(ロボットではない)。ここには恐竜の化石の実物が展示してあり、直接触ることもできる。なぜ化石なのか、について、ミュージアム側は狙いがあるのだが、見る者には必然性が見えない。

ここでは、同館が主張する創造論のパースペクティヴが提示されている。それをひと言であらわせば、下の写真のような表現になるかもしれない。事実は同じでも(科学とは)異なる理解枠組みがあるのだ! という主張である。

それによれば、まず生物学的・地質学的・その他自然科学的事実は事実として認める。そのうえで、科学的理解は人間中心主義的な見方にすぎないと批判し、神の言葉(聖書)から諸事実を矛盾なく理解することできるということを主張する。それが創造論の考え方であると言いたいらしい。

創造論によれば、神による創造のあと、人間が堕落したので大洪水をおこし、ノアたちを除いてみな死滅した。化石などはその大洪水のときに死んだ動物や植物なのだという主張であるようだった。

ルーシーがあなたの祖先だって? のコーナー。ルーシーとはエチオピアで発見された猿人の化石人骨で、直立二足歩行をしていた痕跡があるとされている。

人間は人間(神に似せてつくられたもの)であって、猿と共通の祖先ということは否定している。解説板には、この展示は、どこどこ大学でPh.D.をとったナントカ博士の貢献が大きいみたいなことが書かれており、わかりやすい形での権威づけもなされていた。

聖書へ帰れ、のコーナー

創造論なんて学校で教わらなかったよ、ほんとのことを教えて、というパネル。文章でいえば接続詞みたいなものだ。

そうして、つぎのコーナーに移る。

この像は世界史でおなじみのマルティン・ルターだ。免罪符を売るなどして堕落した教会にたいして「聖書へ戻れ」と主張した。ルターに、みずからの立場(創造論)を重ね合わせようとしているように見える。ルターが実際にこんなふうに「95箇条の論題」を張り出したかどうかは知らないが、たぶん演出だろう。

そのルターを支えたテクノロジーとして、初期の印刷機がおかれていた。もちろん模型だろう。創造論のばあい、さしずめこのミュージアムのアトラクション的展示が、かれらの主張を支えるテクノロジーだといえるかもしれない。

堕落した現代、のコーナー

つぎは、現代社会がいかにダメかということを訴えるコーナーである。

現代社会のさまざまな苦しみは、神の言葉を見失って堕落したがゆえであると訴える。

ジオラマとパネルとドラマ仕立ての映像の組み合わせ。このコーナーはいかにも薄汚いトーンにまとめられていて、ある種わかりやすい。

聖書の世界の来館者たち

つぎにあらわれるのは、神や聖書の世界のコーナーである。まず「世界は神が最初の6日間ですべてを創造したのだ」ということが強調される映像コーナー。

ここから先はジオラマ中心になり、聖書に記された創造後の世界の話が描かれる。

ジオラマ仕立てのなかで、来館者たちがこんなふうに自撮りしていたりする。みなさん、まじめ、かつ十分に愉しんでいるようすだった。

アダムとイブをのぞき見する

池のなかにたっているのはアダムとイブ。かれらの最初の世界は楽園で、悩みなんか何もないパラダイスだったという場面。

で、その全裸でもって睦みあうアダムとイブを、こちら側からながめる、というか、のぞき見する来館者たち。

堕落したカインがアベルを殺す場面のジオラマ。

ノアの箱舟

つぎはノアの箱舟の建造現場へ移る。箱舟の一部が再現されている。

箱舟の内部にも入ることができる。

配置された人形の一部はオーディオ・アニマトロニクス(ロボット)である。

こちらはミニチュアのジオラマ。洪水でひとびとや動物たちが溺れ死んでゆくなかで、ノアの箱舟だけが浮かぶ場面。

なお、前述したアーク・エンカウンターという姉妹施設は、ノアの箱舟を実物大でまるごと再現したという宗教アトラクションであった。それについては稿をあらためて後日あげるつもりである。

次回は展示のつづき、ショップ、庭園など。