ミシガン大学における白人至上主義者講演問題

11月21日、ミシガン大学の学長は、白人至上主義者の論客リチャード・スペンサーからかねて要請されていたキャンパス内での講演の許可を求める要請について声明を発表した。報道されていたとおり、渋々ながらも事実上容認する方向みたいである(たとえばワシントンポストのこの記事)。学長名の声明文は大学のホームページに掲載されている。こちらのリンクからどうぞ。

リチャード・スペンサーは各地の大学にたいして、講演会をひらくために学内スペースを貸すよう要請をだしまくっている。8月のシャーロッツビルの事件の影響もあって、近隣のミシガン州立大学のように、安全確保の困難を理由に講演会開催の要請を却下するところもある。そういう大学にたいしてスペンサーたちは、言論の自由の保証に抵触しているとして訴訟という手段に出る。10月のフロリダ大学のように講演会を認めると、支持者と反対派がぶつかって不安定化する。

スペンサーの代理人からミシガン大学にその要請が来たのは10月末のことだったそうだ。ぼくもなんとなく知っていた。アナーバーのひとたちの多くは基本的にリベラルであり、ぼくのまわりにかんしても、反対する声が大きかったようにおもう。一方で、その内容がどうあれスピーチの機会を奪うのは正しくないという声もあった。

スペンサーからの要求には返答の期限が設定されていたようで(この記事によれば、それまでに回答がなければ訴えるというような文言もあったという)、ぎりぎりになって声明をだしたようである。

学長の声明文は上述のリンク先から読むことができる。それによれば、スペンサーの要請を(渋々ながら)大学が認めるのは、およそつぎのような理由からである。

人種差別主義、反ユダヤ主義、白人至上主義、白人ナショナリズムといったリチャード・スペンサーやその支持者たちの見解は、ミシガン大学において共有されている価値観とは正反対のものである。講演会のために学内施設の使用許可を求めるかれらからの要請は、大学にとって困難かつ歓迎せざるひとつの試練であるが、われわれはこの試練に向きあう必要がある。ミシガン大学は public university であり、(合衆国憲法修正第1条が保証する言論の自由に則って)想定される発言の内容によって発言の機会に制限が加えられることは法律上認められていない。つまり、だから拒否はむずかしい、ということである。

そのうえで、大学として最重要な関心事は、むしろ大学関係者や地域の安全が確保できるかどうかであると述べる。発言の内容を事前に拘束することはまったくないとしても、安全の確保という観点から、スピーチの時間、場所、方法などを適切なものに調整することは可能である、という。

また、たとえ講演が学内でおこなわれたとしても、大学関係者にはコミュニティとしてできることがあるとも述べている。スペンサーを無視することもできるし、かれが排斥の対象とするひとびとをサポートすることもできる。講演会場とは離れた場所で、抗議集会をひらくこともできる。また当該期間中、不安定化が予想される地域から離れて安全を確保するという方法もある。いずれにしても、この一件によってミシガン大学の価値観が損なわれることはない、という。

それにしても苦しい文面である。アメリカの公立の学校では法律上の制約から講演者の思想信条を理由に要請を拒否するのがむずかしいため、容認する一方で、安全性の確保という観点を押しだして、せめて少しでも影響を小さくしようとしているように見える。

今日ぼくが見たかぎりでは、大学構内は落ち着いていた。

*初出時タイトル「ミシガン大学におけるリチャード・スペンサー問題」より変更(171124)。

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