ホーム > 散歩旅にでる > 2013シンガポール・マラッカ

2013シンガポール・マラッカのアーカイブ

マラッカ海峡を見にゆく 4 ── 街歩きとごはん

マラッカの話の最終回です。

街中を歩く。マラッカ市街の雰囲気は、なんとなくリスボンのそれと似ている気がした。ポルトガルに支配された歴史をもつとはいえ、もちろん両者の街並みはずいぶんちがう。だがなぜか、そんな気がしてしまうのだった。

リスボンにはチャイナタウンはなかったとおもうのだが、マラッカはむろんそれが旧市街の中心部を構成している。

ショップハウスとよばれる長屋形式の商店が、通りの両端につらなっている。

観光客向けの店もあって、にぎわっているように見えるが、よく見るとけっこう空き家もある。

チャイナタウンのはずれに、こんな像をかまえた建物があった。ボディビルのスタジオか何かなのだろうか。どういう趣味なのだか。

古いカローラがいた。相当の年季のものだが、現役のようだ。いったい何年製なのだろう。型からすると、1970年代のものとおもわれるのだが。

路上の屋台で、サトウキビ・ジュースをのんだ。

注文すると、おじさんがその場でサトウキビを一本絞ってくれる。氷は? と訊かれるので、入れてくださいと頼む。甘くて、少し青味があった。おいしい。

街路を一本入ると、路上に屋台村がでていた。”Teppanyaki” と看板をかかげた屋台がある。台湾系なのだろうか。

呼びこみに吸い寄せられるようにして、一軒の屋台に入った。魚鮫麺の店だ。魚鮫麺(ヒーキャオミー)とは、魚肉練り製品のはいった麺のことのようである。Fishball Noodleと英語でも併記してあった。

屋台は気のいいおじさんがやっていた。麺は、黄色い太めの麺と、白い米粉の麺から選ぶ。前者を選ぶ。飲み物は何にすると訊かれたので、お茶を注文する。例によって、甘いお茶である。麺がRM3.5だっただろうか。お茶とあわせてRM5だった。

ちゃんと店舗をかまえた店に入ったこともあった。マコタ・パレードとダタラン・パラワンのあいだの通りをずっと南に歩いていったところに一軒の中華料理屋があった。「粥家村 Porridge House」と書かれていた。ほかの店にくらべて、明らかに繁盛しているようだったので、ひとりで入ってみた。

小さなお店だったが、高級店のように、料理を運ぶ係と注文をとる係が分業しているらしかった。

特段にめずらしいものではなくて恐縮なのだが、ここでは炒飯と鶏の唐揚げをたべた。炒飯は大中小とあって選ぶことができる。小にしたが、かなりの量があった。そして、どちらもとてもおいしかった。ただし唐揚げに散らしてあったパクチーはたべなかった。ちょっと苦手なのだ。

これはサンドイッチ。といっても、ジャムみたいなものが食パンに塗ってあるだけ。マラッカ・セントラルのバスターミナルにでていた売店で買ったもの。味は、まあふつう。店番をしていたのは、中学に入りたてくらいといった感じの幼い少女だった。

そういえば、オランダ広場の脇に、こんなバスが停まっていたことがあった。

右後方の側面がおもいきり破損している。事故にあったようだ。数時間後に再びここをとおりかかったときには、すでにこのバスの姿はなかった。

そのさらに近くで、少年たちがスケボーをやっていた。順々に滑走していき、さいごに残った男の子に、写真を撮らせてもらっていいかと訊ねると、恥ずかしそうにうなづいた。

少年はそのままスケボーで坂を走っていった。坂を下りきったところで、こちらをふりかえり、右手を大きくあげてみせた。ぼくもそれに応えた。

少年はまた向きをもとに変えると、先に行った友人たちのあとを追いかけていった。

おわり。

マラッカ海峡を見にゆく 3 ──海峡をながめる

JBのラーキンから3時間でマラッカ・セントラルという長距離バス用のバスターミナルに到着した。

「マラッカ」とぼくたちはよぶが、これは英語の “Malacca” だ。マレー語では “Melaka” と綴り「ムラカ」という。セントラルは “central” ではなく”sentral” と綴る。ちなみにタクシーは現地では「テクシー」と発音され(これを耳にするたびに『チキチキマシン猛レース』の虎髭一家を想起してしまうわけだが)、”teksi” と綴る。英語の音をとっているのだろう。日本語のカタカナと同じ発想である。

マラッカ・セントラルから市街まで出るには17番のバスに乗る。詳しいことは「マラッカガイド」というサイトをごらんください。書いてないことはないというくらい、詳しい。たいへん参考になりました。

さて、マラッカ海峡をながめるために、市街の中心部にあるセントポールの丘に登ってみた。

ちょっと遠いが、マラッカ海峡が見えた。

写真左側に見える白い塔はマラッカタワーだ。写真にはうつっていないが、円盤状の展望台が回転しながら上昇してゆくというアトラクションである。

丘の上のセントポール教会は、ザビエルの遺骸を一時保管していたという教会だという。像がたっているが、教会はいまは廃墟。イエズス会はカトリックだからかもしれない。

ムスリムの母娘に「ヤポン?」と声をかけられた。娘さんのケータイで写真を撮ってあげた。ぼくのNEX7でも一枚。

日本人の団体さんもやってきた。老若男女20名くらいいただろうか。写真は、現地の日本語ガイド氏が、背を向けてコインを投げるといいことがありますよ的な、観光地用のテキトーなお話をしているところ。世界中の観光地で採話して比較したら興味深いかもしれない。

セントポールの丘は、なかなか気持ちのよい場所だった。猫もたくさんいたし、木の根元に坐ったおじさんが海をながめていたりした。

マラッカ海峡を近くで見るために、マラッカ川の河口までいってみた。川沿いはウッドデッキでこぎれいにしてあったが、ところどころ腐っていた。このあたりは町外れでやや荒廃した雰囲気だった。これ以上海へは近寄れず。

これはHatten Hotelの部屋からながめたマラッカ海峡だ。なかなかの一望的眺望である。

正面に見える島は、埋め立てによってつくられた人工島だという。報道によれば、あそこに世界で13番目の高さになる観覧車を建設する予定なのだとか。

正面の海岸は埋め立て工事中だった。あれが完成すれば、そこに高層ホテルがたつかもしれない。そうなれば、このホテルからのこの眺望もきかなくなるだろう。

このホテルも含めて、マラッカ市街はこの手の高層建造物がいくつも建ち並び、まさに「発展」中だった。先述のセントポールの丘からの眺望さえも、これらの高層建造物によってかなり遮られていた。よけいなおせっかいだとはおもうのだが、観光地としてちょっと先行きが案じられる気がした。

夕方に、またセントポールの丘へ登り、夕景をながめた。雲が多かったが、まあよしとしよう、という感じであった。この時間帯は蚊が多数出没した。ぼこぼこに刺されながら、シャッターを押した。

つづく。

マラッカ海峡を見にゆく 2 ──JBからマラッカへ

JBからマラッカへはバスで移動するのが一般的だという。ただし長距離バス用バスターミナルのラーキン・セントラル(Larkin Sentral)は郊外にある。まずはそこまでいかねばならない。

  ▲夜明け(といっても0630)のJBセントラル駅。ホテルの窓から。

ホテルのフロントで訊くと、シティスクエア前の通りからラーキン行きのバスに乗ればいいという。行ってみたが、そんなバスはおらず、そもそも林立するバス停のどこがラーキン行きかもわからない。

そこでJBセントラル駅を抜けて、東側のイミグレーションのあるほうへ行ってみた。シンガポールから国境を越えてくるバスは、二つのイミグレーションを抜けたあと、ラーキンまで走っていたはずだから、それに乗ればいいだろうと考えたわけだ。

イミグレーションの一階にもバスターミナルがある。いくつものバス停があった。そのひとつにラーキンと記されていた。

  ▲最下段 "LM1" と系統番号の記された右横に "LARKIN SENTRAL" とある。

しかし、いくら待てどもバスは来ない。

コーズウェイ・リンクの黄色いシャツを着たおじさんに訊ねてみた。すると、昨日のチケットは今日はつかえない、ラーキンに行くならJBセントラルの西側の通りに行ったほうがいいという。逆戻りである。

仕方がないと歩きかけたところで、おじさんがなにやら大きな声でよびとめた。遠くに停まっている赤いバスに乗れという。おじさんは大声でバスの運転手に向かってなにか叫んだ。おじさんに礼をいって、ぼくは赤いバスまで急いだ。

行先表示板になんと書いてあったかは、おぼえていない。バスに乗りこみ、運転手に「ラーキン?」と訊くと、返事は “one seventy (RM1.70)” だった。ということは、このバスでいいのだろう。あいにくコインがなかったので、RM1札を二枚だしたら、チケットだけ渡され、おつりはなかった。不親切なのではなく、そういうルールらしい──ということがわかってきたのは、あとになってからだった。

別の日、こんなことがあった。やはりバスに乗ろうとしたさいに端数分のRM0.5の硬貨をもちあわせておらず、いったんバスを降りて近くでお札を崩そうとおもった。そのようすを見ていたバス会社の地上係員が、じぶんの財布からコインをとりだし、ぼくの代わりに払ってくれたのだ。予想外の出来事に、ぼくはあわててしまった。その係員にRM1の紙幣をわたそうとしたが、かれはぼくの腕をふりながら「たかがRM0.5じゃないか」といい、けっして受けとろうとしなかった。

  ▲バス車内。日本と同じく左側通行のため運転席は右側にある。

話を戻す。

発車したバスはいったんコーズウェイの入口あたりまで南下して、あらためて北上する。シティスクエア前にも停まった。バス停は、シティスクエアからの歩道橋を降りたすぐ北側だった。

15分ほど走って、ラーキンに到着した。バスと人間であふれているように見えた。バスターミナルにたむろすひとびとが、移動のために来ているのか、たんに坐っているだけなのかはわからなかった。

チケットオフィスは、会社ごとの窓口がたくさんならんでいる。マラッカ行きのバスも複数の会社が運行しているようだ。KKKLという会社のバスが10分後に出発というので、チケットを買った。RM20.90。現金払いのみ(カード不可)。料金はどの会社でも同じらしい。ちなみに復路はDelima社のバスに乗ってみた。

チケットに乗るべきバスのナンバーが書き込まれ、それが停車しているバス停の番号を教えられる。

教わった番号のバス停へいってみたら、別のバスが停まっていた。マラッカ行きのバスは? ときょろきょろしていると、近くに腰かけていたおじさんが声をかけてくれた。そしてチケットをみて、そのへんで待っていろといった。すると、その言葉を合図にしたかのように、マラッカ行きのバスがやってきた。

バスは1-2列配置のVIPバスだった。ぼくの座席は左側の一人がけのシート。

VIP仕様のシートは一見よさそうに見えるかもしれないのだが、ぼくのような腰痛もちには厳しい。座面はやわらかすぎるし、背もたれは後傾しすぎ。とにかく腰に負担がかかる。しかも車内は猛烈に空調が効いており、30分もすると凍えてしまう。通路の反対側には小さな子どもをつれたインド系の若夫婦がすわり、全員がおもいきりシートを倒していたが、とても真似できない。(なお復路のDelimaのバスは、ふつうの2-2列のバスだった。)

定刻を少しすぎたところで、バスはラーキン・バスターミナルを発車した。とくになんの案内もなく、その後マラッカに着くまでの3時間アナウンスは一切なかった。そういうもののようだった。

つづく。

マラッカ海峡を見にゆく 1 ──国境を越えてJBへ

マラッカ海峡を見にゆくことにした。

MRTのブギス駅から徒歩5分、空き地にバスが数台ならんでいるのが見える。そこがクイーンズストリートのバスステーションだ。ここからマレーシアの入口ジョホールバル方面へゆくバスがでている。

ジョホールバルという地名は、ぼくたちの年代では、1997年にサッカー日本代表が初めてワールドカップ本戦への出場を決めた街の名として記憶されているだろう。なお現地ではJBと略記するようなので、本稿でも以降それにならうことにする。

170番の赤いバスがタウンバスで、国境を越えてJBまで運行しているという。停まっていたので近づいてゆくと、運転席のドライバーが手真似で、これじゃない、向こうのバスへ行け、といっている。タウンバスは各バス停に停まってゆく。ぼくはそれでもよかったのだが、旅行者は直行便に乗れ、ということらしい。

直行バスは数社が運行しているようだった。ぼくが行ったとき、つぎに発車を待っていたのは、黄色い車体のコーズウェイ・リンクだった。

チケット売場はビーチパラソルみたいなテントの下にあった。

売場のおじさんは、なぜかひどく不機嫌だった。JBまで一枚といったら、チケットなんか売らない、直接バスに乗れというようなことを言った。バスに乗ったら、やはりまず売場でチケットを買ってきてくれといわれた。再びおじさんのところにいくと、不機嫌そうにチケットをうってくれた。2.4ドル。イージーリンクカード(日本のSuicaみたいなプリペイドカード)で支払可能。

バスはほぼ満席。市内を抜け高速道路を北上し、30分ほどでウッドランドのイミグレーションへ着いた。要塞のようないかつい建物だった。写真を撮った。

しまった! シャッターを押した瞬間、気がついた。出入国管理エリアは撮影禁止だったのだ。

やばいとふりかえると、早くも警官がこちらに向かって歩いてきていた。観念するしかない。素直に謝った。警官は、ここで消せば許してやるという。ふたりでNEX7の液晶画面をのぞき込みながら、撮影した写真を消去した。警官は笑って、行っていいよといった。

シンガポールを出国したら、またバスに乗る。さっきのバスはすでに行ってしまっているが、同じコーズウェイ・リンクの黄色いバスなら、チケットを見せれば乗せてくれる。

コーズウェイという橋というか突堤のようなところを走ってジョホール水道を渡ると、もうJBだ。バスを降りて、こんどはマレーシアへの入国審査である。入国管理官がぼくのパスポートをみて「ハセガワ」と姓をよぶ。Yesと返事をするだけ。すぐに済んだ。

ここの両替所で5000円だけ両替。RM150ほどになった。ちなみにシンガポールではけっこうクレジットカードが通用したが、マレーシアは、街中では現金払いが基本だった。

イミグレーションはマレー鉄道のJBセントラル駅に直結していた。ガラスと鉄骨でつくられた、いかにも、な建物。シティスクエアと名づけられた真新しい駅ビルも同様だ。日本のそれとまったく同じように、テナントがたくさん入ったショッピングモールであった。写真は中心部にある巨大な吹き抜け。

ドラえもんにキティちゃんのコーナーもあった。

スタバにそっくりの地元資本とおもわれるカフェ。ラテ一杯がRM10以上した。けっして安いとはいえないが、若いひとたちがけっこうたくさんやってくる。

ところが、駅ビルから一歩外へでると、ごちゃごちゃした市街地が拡がっていた。行きかうひとたちも、一見してマレー系らしきひとたちが目につく。男性は丸い帽子をかぶり、女性は布で頭を覆っている。イスラム圏なのだ。シンガポールは、ぼくにとっては東京と連続しているように感じられる。マレーシアに来ると、その感覚はだいぶ変わってくる。

市内を少し歩く。丘の上に立派な建物がたっていた。市庁舎だという。変わった声でなく鳥がいた。

坂をくだるとヒンズー教の寺院があった。

まわりの店では、こんなふうな花飾りを売っている。

シティスクエアの南側を南下してゆくと、たくさんのお店がならんでいる。そのひとつに入ってビールを飲んだ。この話は、以前に現地からの投稿で書いたとおり。

カールスバーグの大瓶がRM16だった。RM1が30円くらいだとしても、それなりの値段である。とはいえアルコールには厳しいイスラム圏なので、多少のことは仕方ない。もっともこのあたりの一画にかぎれば、おじさんがビールを飲んでいる姿はしばしば目にする光景ではある。

ビルの谷間に、屋台がならぶ一画があった。

そのなかの一軒で、ごはんをたべることにした。

調理済みのおかずがいろいろならべられている。

お店のおばさんにお願いすると、まずお皿にごはんをよそい、手渡してくれる。その上に、じぶんの好みのおかずを好きなだけ載っける。それをおばさんに見せると、おばさんが皿をにらみ、値段を決めてくれる。価格体系はとくに明示されていない。おそらくおばさんの感覚が基準なのだろうとおもう。

ぼくのばあいは写真のような状態で、RM5。ビールの値段にくらべて1/3以下だった。あとはあいたテーブルについてたべればよい。なかなかおいしかった。

隣の屋台は飲み物屋さんだった。ひげをはやしたおじいさんが、どっから来たと訊く。東京から(ほんとは千葉だが)と答えると、ふーんという。飲み物はいらんか。ありがとう、いりません。ではおれを写真に撮れという。その一枚が、これ。

この日はシティスクエアのすぐ南にあるシトラスホテルに泊まった。部屋には窓がなかった。より正確にいえば、窓はいちおうある。その窓は、通気口のようなところに面しており、その光景を見るためにブラインドをあけようという気持ちにはけっしてなれないような代物だった。平面図をみると、そういう部屋が何室もあるようだった。

それ以外には、とくに不自由はなかった。

つづく

シンガポール・フライヤーに乗ってきた 3/3

シンガポール・フライヤーの降車口は、地上3階にある。搭乗口と同じフロアだが、出口は反対側(進行方向に向かって右手)だ。

地上へ降りるためには、観覧車をぐるりととりかこむビルのなかをとおっていかねばならない。ビルは先述のようにバームクーヘンをつぶした楕円形で、中央に観覧車の基台があるのだが、そのまわりは植栽されている。そこを中庭として、各階とも内側にぐるりとバルコニーのように回廊がつけられ、回廊にそってテナントがならんでいる。

降車した3階にはまず、搭乗時に撮影された写真売場がある。値段は不明だが、むろんスルー。さっきの天津のカップルは買っていた。その横がお土産もの売場で、そこから先はテナントエリアである。よく知らないが「高級」っぽいお店が多いみたいだ。地上階には主として飲食店が入っているのだが、これも高級路線。ちょうどお昼時だったにもかかわらず、どう見てもお客さんが入っているようには見えなかった。肝心の観覧車があの空きぐあいなのだから、当然といえば当然かもしれない。

観覧車と商業ビルの結合は、日本でも広く見られる。たとえば、札幌や名古屋では、市内の商業ビルの屋上に観覧車が載っかっている。鹿児島あたりでは駅ビルの上で観覧車がまわっている。

その意味で、シンガポール・フライヤーも同種ということができるだろう。

しかし、観覧車と商業ビルの関係については、ちがいもある。

近年の日本の例では、主体はあくまで商業ビルであって、観覧車はあくまでひとびとを惹きつけるためのアトラクションであり、あまり上品とはいえない言い方でいえば「客寄せパンダ」的な付帯施設だ。

いっぽうシンガポール・フライヤーのばあいは、その逆。あくまで観覧車というアトラクションが目玉なのであり、商業施設はそれに寄生している。

このちがいの幾割かは、観覧車それ自体がひとびとをどれだけ惹きつける力をもっているかということに起因しているだろう。つまり、ここでは観覧車というテクノロジーの経験がもたらす「魔術」は、まだ多少は信じられている。でなければ、少なくとも「国家の象徴」という話には結ぶつくまい。

そしてそれは、アトラクションという遊戯機械の社会的な意味や位置づけのちがいをも示唆しているのではないか。さらにいえば、遊戯機械という範疇を越えて、テクノロジーと身体と社会の関係全体ともつながっているのではないか。

     *

最先端テクノロジーを強調するシンガポール・フライヤーにおいて、その地上階の一画にあるフードコートは、むしろ伝統的な「シンガポールらしさ」を演出しようとした場所であった。そして、ここにだけは、それなりにひとの姿があった。

フードコートのことをこちらではホーカーズとよぶ。屋台形式のお店が何軒もならんでいる。そのなかで、もっともお客さんがならんでいたのが、チキンライス(海南鶏飯)の店だった。ぼくも朝は機内食の残りのパンをひと切れたべただけ。すっかり腹ぺこだ。

メニューはチキンライスだけ。日本でチキンライスといえばトマトケチャップで炒めたごはんのことをさす。こちらのそれはまるで別物だ。

ひとつくださいと頼むと、おじさんがつるしてあったローストチキンを切り株のようなまな板の上におき、四角い包丁で骨ごとぶった切る。それをごはんのうえに数きれならべ、ソースをかけてだされる。甘めの味噌みたいなのが小皿についてくる。カウンターにチリソースの入った壺がおいてあるから、好みでかけてもいい(辛かった)。そうしたら、お皿をペナペナになったトレーにのせて好きなテーブルまで運ぶ。

ひとくちたべてみた。おいしい。ローストしたチキンとぱさぱさのタイ米がよくあう。ああ東南アジアにまた来たんだな、という味がした。

フードコートには近隣のビジネスマンや、ちょうど準備中だったF1シンガポールGPのスタッフたちも大勢来ていた。かれらのかなりの割合が、このチキンライスをたべているのだった。

代金は5ドル。このホーカーズのほかの屋台のメニューのなかでは、ほぼ最安だったとおもう。とはいえ円換算すれば400円弱なのだから、日本のファーストフード事情を考えると、破格に安価というわけでもない。なお、このときのチキンライスの味が忘れられず、帰国時にチャンギ空港のホーカーズでも懲りずにまた頼んでみた。しかし残念ながら、高い(6.5ドル)わりにちっともおいしくなかった。

10分たらずでたべおえてしまった。食器はテーブルの上においておくと、係のひとがさげてくれるらしい。

ホテルでもらってきたミネラルウォーターをのんだ。真上からの陽射しと埃っぽい風にさらされながら、ブギスまで、汗だくになって歩いた。

おわり。

ホーム > 散歩旅にでる > 2013シンガポール・マラッカ

Related Other Sites
Recent Posts
Categories
  • ゼミ・授業 (144)
  • 考えたこと (131)
  • 日にち雑記 (240)
Pages
Monthly Archives
Search This Site
Subscribe SwingBooks
Lab & Seminar
RSS hajime-semi Blog
  • 積み重ねの先にあるもの 2016年11月27日
     こんにちは。<チャーリー>です。 とうとう、卒論のゼミ内提出までの日数は残り1ヶ月を切りました。最近わたしが […]
    長谷川ゼミ
Meta

ページの上部に戻る