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2014ポルボウ・バルセロナのアーカイブ

ピレネーを越えて、その1を公開

ベンヤミンの越えたピレネー山中の道を歩いてきたときの記録を、「ピレネーを越えて──ベンヤミン・ルートを歩く」と題して「さんぽのしっぽ」にて公開しはじめました。

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まだ、その1(ルートの概要)だけです。続きは順次あげていきます。

*追記:その4までアップしました(10/8)。全6回で収まりそう。
*追記:全6回の公開を完了(10/9)。

名もなき者たち

ベンヤミンのポルボウを歩く」全4篇を、ようやくすべてアップすることができた。執筆には、おもいのほか時間がかかってしまった。理由は、調べものに少々手間どったからだ。引用の出典の確認である。

ポルボウにあるダニ・カラヴァンの作品「パサージュ──ベンヤミンへのオマージュ」には、ベンヤミンの『歴史の概念について』からとして、日本語であらわせばつぎのような文章が引用されている。

名もなき者たちの記憶に敬意を表することは、有名な者たちや誉め称えられた者たちの記憶に敬意を表するよりもずっと難しい。歴史的な構築は、名もなき者たちの記憶に捧げられているのだ。

現地でこれを見たとき、ちょっと不思議に感じられた。というのも、このフレーズに覚えがなかったからだ。

たんに、ぼくが忘れていただけかもしれない。じぶんの記憶力にはほとんど自信をもっていないので、帰国してから確認しようとおもった。

ところが、帰国後に実際に読みなおしてみると、はたして、このフレーズは同論文中に存在しなかった。

では、いったいこの文章の出典はどこなのか?

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調べをつけるのに手間どったというのは、この出典探しである。しかし、灯台もと暗し。答えはあんがい近いところにあった。ドイツ語の箇所をよく読めばよかったのだ。

この文章は『歴史の概念について』の異稿断片集に含まれていたものであった。今日知られている決定稿ではなく、最終的にはつかわれることがなかった断片のひとつなのだった。

日本語では、ちくま学芸文庫の『ベンヤミン・コレクション7』に収められている浅井健二郎訳で読むことができる。上の引用もそこから(p. 600)。

それにしても、なぜカラヴァンは、ベンヤミンがみずから打ち捨てた文章を、わざわざここに引用したのだろう。しかも、原稿では、引用された文章の後半には抹消線が引かれているという。ベンヤミンにはどんな考えがあったのだろう。

ベンヤミンのポルボウを歩く、その1を公開

先月歩いてきたベンヤミン最後の地ポルボウの記録を「さんぽのしっぽ」にて公開しはじめました。

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まだ、その1だけです。

続きは順次あげていきます。

*追記:全4回ぶんをすべて公開しました(9/1)。

戦場とその上空

日航123便が墜落してから今日で29年たつ。亡くなった方々とご遺族に、あらためて哀悼の意を表したい。

ところで、先日のベンヤミンの墓参のために乗ったのは、カタール航空だった。ここをつかうのは初めてだ。この時期にしては格安だった。なにせサーチャージと諸税込みで、8万5500円である。金額だけなら、東京から九州や沖縄の離島を往復するのと、たいして変わらないのではないか。

羽田からドーハへ飛び、長い待ち時間をへて、バルセロナ行きに乗り継いだ。機はアラビア海を北上し、そのままイラク上空に差しかかった。

大きな河口が見えた。チグリス・ユーフラテス川の河口らしい。世界史の教科書には必ず出てくる、アレである。

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予想外だったのは、飛行ルートだった。バスラ、バグダッド、キルクーク、モースルと、現在もつづく内戦(といっていいのか?)の戦場の上空を、淡々と北上してゆくのである。

おそらく地上のあちこちでは、そのときも戦闘がおこなわれていたのだろう。

ふだん国際線では通路側に坐るのだが、このときは窓際の座席だった。窓から地上を見るかぎり、戦争というようなようすはまったくうかがえなかった。灰褐色の沙漠が延々とひろがり、ところどころに集落が点在し、それらを縫うように道路が走っている。それだけだった。

地上で紛争がおきている、ちょうどその上空一万メートルを、平和なひとびとを載せた旅客機が飛ぶという状況が、奇妙に感じられた。しかし現実には、武力衝突がおきている紛争地域の上空を、国際線旅客機が往来していることは、ちっとも珍しくないことなのだろう。じじつ、反航したり別の方角へ飛び去っていったりする旅客機を、幾度となく見かけた。

だとすれば、ウクライナでマレーシア航空機が撃墜された先日のあの事件のような悲劇は、いつまた起きても不思議ではない、ということなのかもしれない(ちなみに、カタール航空はウクライナ上空は飛びませんと宣言している)。

帰路は南寄りのルートだった。サルディーニャ島を横断し、イタリア半島の長靴の先をかすめてアドリア海を横ぎって、トルコの南海岸沿いを飛んだのち、シリア上空を横断する。いうまでもなく、ここも内戦状態にある。

ちょうど日没のタイミングであった。夕陽が翼と地平線を黄金色に染めあげる。空はこんなにうつくしいというのに。

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やがてイラクへ入った。シートモニターに表示しっぱなしにしていたナビの画像を撮影してみた。

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暗い地上には、ところどころ光の点が集まっている場所が見える。街なのだろう。

イラクを北から南へ縦断し、アラビア海へ出た。すると、右手に、全体がまばゆいばかりに光り輝く半島が見えた。クウェートだった。湾岸戦争の直接のきっかけは、当時のフセイン・イラクによるクウェート侵攻であったことを思い出した。

その煌々とした明るさは、ついさっきまで見えていたイラク領土内の暗さと否応なく対比させてしまうものであり、そして複雑な気持ちをいだかせるものであった。

ピレネーとベンヤミンの墓標

ポルボウへ行ってきた。ベンヤミンのお墓参りのためである。

ベンヤミンのお墓は、街はずれの丘の上、海をのぞむ共同墓地のなかにあった。

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自然石をつかった墓標がたっている。ベンヤミンのお墓だ。ケルンのように、小石が積みあげられていた。

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ただし、ここにあるのは墓標だけだ。ベンヤミンの遺骸が埋められているわけではない。

もともとベンヤミンのお墓は、別の場所にあった。

ここの共同墓地は、集合住宅のような恰好をしている。一画ごとに棺が収められ、区画ごとに番号が振られている。その563番に、かつてベンヤミンの遺骸は収められていた。

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写真にあるとおり、しかし、いまは別人が眠っている。

共同墓地の前には、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァンによる作品「パサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」がある。

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丘の上から東を望むと、眼下にポルボウのちいさな街と長大な駅舎、そしてピレネーの山々が見える。

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そのピレネーを越える山道を、望外なことに、ぼくも実際に歩いてみることができた。いろいろと情報を得ることができたおかげだ。このルートは、74年前、ベンヤミンが、ナチスの追及をのがれるため、非合法的にスペインへ脱出するべく歩いた最後の道である。

ポルボウから鉄道でいったん国境を越えてフランスに入る。そこから歩いてピレネー山脈を越え、またスペインへ入り、ポルボウへ戻ってくる。

初めのうちは葡萄畑を抜けてゆく小径。やがて尾根にとりつき、本格的な山道となる。

道は、尾根沿いのような目立つところを避けて、山腹をトラバースしてゆく。なるべく目立たないようなルート、ということなのだろう。

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上の写真を撮ったのは、国境までの最後の区間である。フランスとスペインを分かつ稜線が、右手の奧のほうに映っている。

駅からここまで、ゆっくり歩いて3時間ほど。さらに30-40分ほど歩いて、国境の稜線に到達した。

下の写真は、国境の稜線へ出たあと、ルートから一時はなれて登ってみたピークから撮ったもの(el cap de Cervera i les dues estacions frontereres という場所らしい)。ここには、石積みの古い砦が、崩れかかったまま遺されていた。

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写真の中央に映っている尾根の稜線が国境で、左がフランス、右がスペイン。尾根の両側に見えるのは、両国の最末端の街だ。フランス側がセルベール、そしてスペイン側がポルボウである。

登山経験があり、天候が穏やかであれば、大きな問題があるルートではない。ただし、距離は長い。少なくとも15-6km、実際にはおそらくそれ以上を歩かなければならない。山中は完全な山道であり、それなりにハードな行程である。

当時ベンヤミンたち亡命者は、この道を、文字どおり命がけで歩いた。その労苦と心中の精神的負担は、想像を絶するものがある。

以上まずは簡単な報告まで。後日あらためて詳しくまとめるつもりです。

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