映画『ドラえもん/のび太の恐竜2006』

春休み最後の日、子どもを連れて映画に行った。映画館に子どもを連れて行くのは、いちばん上の《みの》を『スターウォーズ・エピソードI』に連れて行って以来だから、何年ぶりになるだろう。《なな》は劇場で映画を見るのはこれが初めてだ。最初『ウォレスとグルミット/野菜畑で大ピンチ』のつもりだったが時間帯があわず、『ドラえもん/のび太の恐竜2006』になった。

お楽しみのアイスクリームを食べてから座席に着く。右はうちの子、左はよその子といったぐあいで、まわりは子どもで埋め尽くされている。感覚的には、子ども8にたいして大人2くらいの比率である。やはりこの手の作品は子どもまみれになって見るのが正しい。

今回の『のび太の恐竜2006』は、1980年の劇場版『のび太の恐竜』のリメイクである。前作はぼくはテレビ放映でしか見たことないが、原作者が直接たずさわっている劇場第一作ということもあって、ファンのあいだでは名作の誉れが高い。テレビ版は昨年声優の入れ替えをおこない、また毎年製作されてきた劇場版を休止した。企画サイドとしては仕切り直しの原点回帰ということで、新生ドラえもんを巡航速度に載せるための最後の関門と位置づけていただろう。製作スタッフのプレッシャーは相当なものであったはずだ。

冒頭をテーマソングから入るのは、ふだんテレビ版を見ている子どもたちに配慮したつくりであるだろう。たしかに、音楽が始まるやいなや、それまで奇声をあげて通路を駆けまわっていた館内の子どもたちが、あわてて座席へ戻っていった。そして以後熱心にスクリーンに見入っていた。エンドロールのあとまで。とても意外だった。

ストーリーは大筋前作どおり。細部に違いがあるようだが、それはマニアのサイトに詳しい。偶然見つけた化石化した恐竜の卵をのび太がふ化し、生まれた首長竜の子どもを飼い、やがてそれを白亜紀の世界に帰しに行く。いってみれば、のび太が「親」になる話である。前作公開時はこちらは中学生だったのだが、四半世紀以上すぎてこちらも子どものある身となっていれば、なかなか複雑な気持ちにさせられる。

かつてのテーマ批評ふうにいえば、主軸は球体のイメージということだろうか。冒頭の月に始まり、卵、ボール、ピー助の形状、草露、決闘場、そして最後にタイムマシンを照らす雲間から漏れる光のスポットまで、頻出する。印象的だったのが、背景となる自然描写のていねいさだ。朝顔が開花したり、ハチが花に蜜を吸いにやってきたり。しかし活劇のシーンは、あからさまにハリウッド映画SFXふうである(たとえば断崖絶壁での追っかけ)。宮崎アニメ的場面(飛翔や、恐竜ハンターの駆使する飛行体、鉄砲水による断崖の崩壊など)も頻出する。恐竜ハンターやそのパトロン、タイムパトロールは、その設定も絵柄もメタ的に崩れている。その描写のようすに、前作からの26年間に日本アニメーションがいかにポストモダン的展開を経験してきたかを痛感させられる。

ここでタイムパトロールの乗るタイムマシンの艦尾には、海自の護衛艦よろしく、「いそかぜ」(だったか具体名は忘れたけど)というようにひらがなで和語の艦名が記されている。隊員たちはのび太たちに向かって舷側答礼する。昨年には「自衛隊協力」の邦画がいくつか公開されたが、それら戦争物の登場人物もやたらと大声をだして泣いていた。アニメも事情は同じらしい。ドラえもんもジャイアンもスネ夫もしずかちゃんも、涙腺ゆるみっぱなしである。日本映画のスクリーンは涙に溺れかかっているようだ。

見終わって映画館から出てきた。映画館初体験の《なな》の感想。最後のほうは悲しくなった。けれど、ここで泣いたら恥ずかしいとおもったので、がまんした。少しばかり知恵のついた《みの》の感想。ドラえもんの「あたたかい目」がおもしろかった。かれもおそらく、涙がこぼれ落ちそうなのをこらえていたのだろう。