秋晴れと赤福

名古屋にいる母が入院したのは、9月3日のことだ。くも膜下出血だった。さいわい手術は成功した。リハビリもまずまず順調なようだ。いまでは、身体的な動きにかんしてなら、端目にはほとんど健常に見えるほどにまで恢復した。

この週末は子どもたちをつれて新幹線に乗り、病院までお見舞いに行った。母は父に付き添われて、出迎えてくれた。日曜の午後、隣にある広い公園まで、散歩がてらみんなで歩いて出かけた。コンクリートでできた迷路のような遊具がある。子どもたちは追いかけっこに、しばし夢中となった。この遊具、色こそ塗り替えられているが、ちょうどぼくがかれらと同じ年齢のころにさんざん遊んでいたものに違いない。子どもたちの遊ぶようすをながめているうちに、30年前のじぶんもまったく同じようにして遊んだことを思い出した。

二週間前に来たときにはまだだいぶ蒸したのに、今回の名古屋はきりりと冷え込んでいた。遊具のかたわらにある日向のベンチに腰かけて、大人たちは色づきはじめた銀杏の葉をながめた。

帰りの名古屋駅でキオスクをのぞくと、いつもであれば山と積まれているはずの赤福の姿がきれいさっぱり消えていた。まるで、そんなものはこれまで一切なかったかのように、存在そのものが抹消されていた。代わりにその売場には、納屋橋まんじゅうや千成やらが、いささか分不相応な趣で肩をすぼめてならんでいた。新幹線の到着を待つ列で前にならんだ年配の夫婦が、桃色の包装紙でくるまれた箱を五つもかかえていた。どういうわけか、それはどう見ても赤福にしか見えないのだった。