産官学複合体

原島博先生の最終講義を拝聴してきた。

原島先生は、編集者時代にひとかたならぬお世話になったのみならず、ぼくが情報学環に入るきっかけを与えてもくださった方である。院生時代は、直接の専門はまったく異なるのだが、ずっと副指導教官としてご指導いただいてきた。考えてみれば、情報学環ができてちょうど10年たつのだ。

笑わせながら聞かせる話術は、あいかわらず抜群だ。生い立ちから始まり、顔学会と情報学環の創設、そして「ダ・ヴィンチ科学」の提唱という流れ。ダ・ヴィンチ科学とは、文系理系さまざまな分野を越えて、新しい知を創出してゆく、その仕掛けや仕組みのことを総称して、先生がこうよんでおられる。

ここまでは、ぼくも長く先生の近くにいさせていただいてきたので、これまで何度もうかがっていた。しかしその先に続けられたのは、初めてうかがうお話だった。こうした新しい知の創出は、現実にはここ数年、非常に難しい状況に追い込まれつつある、というのである。

話は主に工学の分野になるが、かつて有力メーカーはどこも自社の中央研究所をもち、基礎研究のための人材も資金も自前でまかなっていた。大学に期待するのは、優秀な人材の供給であって、必ずしも研究ではなかった。だから逆に大学では、短期に結果に結びつくようなことを気にする必要なく、長期的な視野にたってユニークな研究をすすめることができた。

ところがバブル崩壊以後、余裕のなくなった産業界は基礎研究を急速に縮小ないし切り捨てた。そしてその役割を大学に押しつけるべく、官と結びついて、大量の資金を大学へ注入するような流れを形成した。そうした類の研究資金はすべて競争的資金として配分される。資金はたいてい数年という短期間の供給だから、そのあいだに結果をださなければ、よい評価が得られない。そこで評価が低ければ、つぎの資金獲得が困難になるからだ。

こうして「競争」と「評価」とが大学の研究を締めあげることになり、大学はかつてのような長期的視野にたった独自の研究を展開するのがきわめて困難になりつつある。

つまり、「産官学複合体」とよぶべきものが形成されるなかで、派手な打ち上げ花火ばかりたくさん上がるものの、大学や研究者は疲弊を重ね、実質的に研究の土壌はやせ細りつつあるということだ。同様の指摘を、別のところでも教えられたことがあるし、個人的に実感している部分もある。オリジナルでユニークな研究をするのなら「競争」や「評価」はすぐにも止めるべきである、という原島先生のご主張は、まことに正鵠を射ているといわねばならない。

原島先生のお話をうかがいながら、かつて(といってもぼくの生まれる以前のことだが)アイゼンハワーがその大統領退任演説のなかで、米国社会に軍産複合体が形成されつつある事実をあげ、その危険性を指摘していたことを思い出していた。