上海万博・北朝鮮館へゆく

北朝鮮館へ行こうということになった。

上海万博の会場へ着いたのは午後1時すぎ。エントランスは人影すらなく、長蛇の列に備えて並べられたとおもわれる整列用の柵ばかりがむなしくならんでいた。それでも欧州のパビリオンのならぶあたりなどは行列のできる盛況ぶり。北朝鮮館はそのちょうど反対側、広大な会場の東のはずれにある。あきらかに場所がわるい。

パビリオンの大きさだけ見れば、他館と比べてもけっして小さくはない。ファサードには大きく北朝鮮国旗があしらわれ、起源不明ではあるものの装飾らしきものさえ付されている。行列は、さすがにない。エントランスには監視カメラが2台設置されていた。

館内に入る。テレビのドキュメンタリー番組で馴染みのあるあの独特のトーンの歌とアナウンスが耳に飛び込んでくる。閑散としていた館外の印象とは裏腹に、内部はけたたましいくらいにぎやかだ。

館内レイアウトは、ちょうど平壌市内のそれを模している。チュチェ思想(主体思想)をあらわすということらしい。

まず右側に四阿があり、そのふもとから川が流れ出している。川は太鼓橋をくぐって池となり、その真ん中からチュチェ思想の塔のミニチュアがそびえたつ。塔のてっぺんには烽火の炎がゆらめいている。といっても、平壌の実物と同様に、本物の炎ではなく、つくりものである。

ここの川と池の表現がすごい。ぺったりとした青色なのだが、よくみるとブルーシートなのだ。シートを敷いた上に透明のガラスかアクリル板か何かがかぶせてあるだ。なんという剛胆さ。腰が抜けそうである。

隣には、やはり平壌と同様に、噴水がある。こちらは本物の水を噴き上げている。勢いがよすぎて、噴水のまわりはびたびた。

館内は意外なほど混雑している。たいていは太鼓橋をわたり、そのまんなかでチュチェ思想の塔を背景に写真を撮り、ついで噴水の前でもやはり記念写真。みんな記念写真が大好きなのだ。中国人ばかりか韓国人も、みな次々とシャッターを切る。フラッシュが間断なく炸裂する。

記念写真を撮りおわったひとびとが次に押し寄せるのが、その奥の物販コーナーだ。ガラスケースのなかにわずかばかりの絵はがきなどがならべられている。担当者は北朝鮮から派遣されてきたらしき男性。

ぼくも中国人や韓国人の観光客を押し分けつつガラスケースに近づき、切手シートを買う。上海万博用の切手シートで、これはもうお宝まちがいなし、である。いくつか指さしていくらかと訊くと、「セブンティーンだ」という。「ティーン」のところを強調して何度も確認した。向こうは、そうだ、セブンティーンだ、を繰りかえす。そこで20元札を出すと、違う、足りない、という。「セブンティーン」なんだから「7」と「0」だろうというのだ。それは「セブンティ」というんじゃないのか、ふつう英語では。

その奥にいく。出口の脇にスタンプコーナーがあり、もうひとりの北朝鮮時らしき男性係員が、観光客のさしだすスタンプ帳にぺたんぺたんとスタンプを押していた。からだを左側にねじって、カウンターの上に右手だけ肘をついて載せ、ほとんど機械のようになって、もうすっかり嫌なんだよ俺は、というような、うんざりした表情でスタンプをもった右手の上下運動をくりかえしていた。ぼくも、もちろん押してもらった。

館内に展開するこうした光景は、チュチェ思想が完全に資本主義に呑みこまれた様相だともいえる。資本主義は、全体主義的社会主義さえも欲望の対象として消費し尽くしてしまう。

見るものも見、手に入れるものも手に入れたので、満足して館外へ出た。夕暮れの涼しい川風に吹かれると、それまでお宝めあての欲望にヒートアップしていたぼくの頭も冷却されて落ち着いてきた。

考えてみると、北朝鮮館の男性係員たちこそ悩み深いのかもしれない。もともと「サービス」という概念のない文化から来て、「サービス」を要求するひとたちの応対をしなければならない。たぶんどうしていいのかわからず、困惑や絶望に近い感覚にとらわれているのではあるまいか。言葉だってよくわからない。もしかしたら、さっきの「セブンティーン」も、上海に来て初めて覚えた言葉なのかもしれないのだ。

会期は10月31日まで。北朝鮮館の健闘を祈る。