ふなばし三番瀬海浜公園

ふなばし三番瀬海浜公園へ行ってみた。

湾岸道路の下をくぐり、工場や倉庫がたちならぶ埋立地を突っきって、いちばん奥にある。休園日だったので、 テニスコートや食堂などの施設は閉鎖。園内はがらんとしていた。潮干狩りの時季などたいへん混むのだという。

それでもぼつぼつ人影はある。芝生広場にはタープを張っている家族づれや、ゴルフの練習をするおじさんの姿も見える。

さらに奥にすすむと、砂浜がひろがっていた。むろん人工海浜なのだが、年月をへて、いいぐあいに枯れている。葦原の縁を歩いて西の突堤まで歩いてゆく。波打ち際には牡蠣やあさりの貝殻の山。

砂浜と護岸堤防とのあいだに草野球場があった。少年野球につかわれているのだろうか、2面あるうちの片方で、数名の子どもたちがノックをうけていた。

岩をコンクリートで固めた突堤を先端まで歩く。東に幕張のビル群がみえ、君津や木更津の工場からは正月にもかかわらず煙があがっている。右に葛西の大観覧車があって、かなたに丹沢らしき山影がみえる。正面が浦安市日の出の住宅地。

これら埋立地に三方かこまれたこのあたりが、三番瀬だ。かつては、現在埋立地になった場所も含めて、広大な浅瀬がひろがっていたという。

三番瀬の海水はおもいのほか澄んでいた。海底が見えるほど。水面には散りばめたように渡り鳥が浮かんでいた。やがて、びっくりするくらい大きな貨物船があらわれた。

海浜公園のあるあたりは行政区域上は船橋市に属する。浜の西のほうまで来ると、市川市東浜になる。目の前にみえるもうひとつの埋立地には日新製鋼の工場があり、そのさらに向こう岸が塩浜の埋立地で、どちらも市川市。

両者にはさまれて、江戸川放水路の河口がある。大正期に開削された人工の放水路だが、いまではこちらが本流に指定されている。

突端から眺めているだけではわからないが、この河口から東京湾の中心部に向かって市川航路という船舶の航行路が設定されている。航路にあたる海底は堀割状に削られている。さっきの貨物船はここを航行してきたのだ。

帰ってから調べてみた。この市川航路は、三番瀬を大きく二つに分断しているのだという。それだけではない。

三番瀬の干潟は、江戸川からの土砂で維持されている。しかし市川航路のため、いまではその土砂はすべて航路に落ちてしまう。つまり、三番瀬は、干潟を維持するための土砂の供給が絶たれてしまっている。有効な対策はいまのところ見出せておらず、また市川航路を廃止するわけにもいかないらしい。

だから三番瀬は瘦せ細る一方なのだという。