修論にせよ卒論にせよ、提出すればおしまい、というわけではない。口頭試問がある。学生にとって、これが最後の関門となる。
積もった雪を踏みしめて大学へ着く。お昼前に、まず修論の口頭試問がおこなわれた。
うちの院生ヤダは400枚におよぶコスプレイベントのエスノグラフィーを書きあげた。彼女は卒論でコスプレの歴史をまとめたのだが、それでは満足できず、もっと別の角度からコスプレについて考えたいといって進学してきた。紆余曲折の末フィールドワークする方法を選ぶことになり、数か月にわたってコスプレイベントにスタッフとして入って調査した。その集成である。世間を見渡せばコスプレにかんする言説は数多あれど、きちんとしたフィールドワークにもとづいて書かれた論文は初めてではあるまいか。
ヤダをはじめ芸術メディア系列の一期生たちがとうとう修士課程まで終えたのかとおもうと、感慨深いものがあった。
その後いろいろと学務が続き、卒論の口頭試問は夕方からとなった。
卒論ゼミのメンバーは全員よく準備してきており、しっかりした発表を聴かせてくれた。とりわけ、クラブカルチャーについてまとめた450枚の大作と、『セーラームーン』を題材に「王子様」的なるもののバルト流構造分析に挑んだ力作は、分量もさることながら内容的にも評価に値する作品だった。
それ以外にも、あいにく考察らしい考察は見られないものの、都内の全てのカーネルサンダース人形を見まわって記録をまとめた労作や、大宅文庫へ日参して『Non-no』を創刊から全部読んだばかりか、最新号の解体作業を敢行し、とりあえず手間暇だけは誰にも負けないといった論文などもあり、とにかく今年もみんなよくがんばった。
出来だけ見れば、そのスペクトルに幅があるのは確かとはいえ、いずれも想定しているレベルはクリアしていたといえるだろう。
いまの世の中、卒論を書こうと決めるだけでも立派であって、結果としてできあがってくる卒論は「長めのレポート」レベルであっても、まあ許されるという考え方もあるのかもしれない。いろいろ難しい状況があるという背景事情もあるだろう。
けれども現時点でぼくに与えられた条件のなかでは、そのレベルでもやむなしというようなことは言いたくない。どうせやるなら精一杯やりたいし、そうである以上、主観的な達成感だけではなく、少なくとも卒論としてはどこへ出してもそれなりに恥ずかしくないレベルという線をめざしたい。そのほうが学生本人にとっても有益であるばかりか、知的な愉しさを(多少なりとも)知ることになるはずだ。それはぼく自身にとっても同じ。
さらにそれは誰であれ可能なのだと信じたい。そのためには、いまあるじぶんに充足するのではなく、一年かけてゼミという場でじぶん自身をひとまわり成長させることが必要だろう。ゼミ生たちはこれまでそうした期待に十二分に応えてきてくれている。と同時に、毎年の卒論ゼミではつねに、ぼく自身が試されている感じがする。
なんにせよ、これで今年もじぶんの責任を果たせたとおもうと一安心(あとはじぶんの原稿執筆に集中せねばなあ)。
口頭試問のあとは、例のごとくコンパ。平日にもかかわらずOBOGが大挙来てくれて、なんだかんだで朝まで呑んでしまった。
今年のゼミ生たちの卒論は、実質的にはこれでおしまいだ。かれらはまもなく巣立ち、それぞれの道を歩んでゆくだろう。
ゼミで過ごしたこの一年間が、そしてメディア系列で学んだこの四年間が、かれらの今後の歩みにたいし勇気と希望と自信を与える小さな一助になってくれればと願っている。