勤勉さについて

あけましておめでとうございます。2013年がみなさまにとって良い一年でありますよう。そして本年もよろしくお願いいたします。

年末からようやく、論文を書くためだけの時間をとることができるようになった。ありがたいことである。

村上春樹さんは毎日きっちり10枚(4000字)ずつ書き、それを休みなく反復してゆくのだと、いくつかのインタビューで語っている。見習いたいとおもうのだが、なかなかそううまくいかない。小説と論文は違うからと言いわけしたくなるのだが、そもそも比較の対象にすること自体が、いろんな意味でまちがっている。さすがにそのくらいの自覚はある。

村上さんはじめ作家の方たちの語る執筆の流儀を読むのは興味深い。流儀の内容はひとそれぞれだが、共通しているのは「勤勉であることの大切さ」である。

才能や能力のあるなしを忖度するよりも先に、ともかくコツコツとじぶんのペースで毎日少しずつ先へ進めてゆくこと。そして、それを今日も明日も明後日も、同じリズムをずっと継続してゆくこと。結果はあとから付いてくる。このような信念が異口同音に強調されている。まるで「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を語るマックス・ウェーバーみたいである。

いずれにせよ、執筆を支える信念として、これはたいへん正しいとおもう。才能やら能力やらは急に増大させられるような性質のものではないのだろうが、勤勉であることととそれを継続することなら、誰であれ、努力しだいで実現可能なことである ── はずである。

ぼくの好きな本のひとつに写真家の南川三治郎さんの『推理作家の発想工房』(文藝春秋)がある。著名な推理作家の仕事場に突撃取材した記録で、写真とエッセイから構成されている。仕事部屋のありようは作家の数だけバリエーションがある。だが、ここでもやはり、どの作家もそれぞれじぶんの執筆流儀があり、それに忠実であると語っている。

昨年、同じ著者の同じ趣旨の写真集『推理作家の家』(西村書店)が出版された。前著の内容も一部含んでいるが、判型も大判となり、扱われている作家も増えた。なぜか巻末にオリエント急行乗車記がついている。

この2冊を手許において、執筆のあいまに、ときどきながめている。「あいま」のはずなのに、気がつくとけっこうな時間がすぎていたりする ── こともある。

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