世間はGWだが、ぼくはいつもと変わらず過ごしていた。一度だけ《くんくん》をつれて《あ》と一緒に稲毛海浜公園へいった。大学時代にときどき自転車で来た場所だが、前回訪れたのはもう何年前になるか。
市川からディフェンダーで渋滞するR14をのろのろと走って一時間半かかった。カーナビによれば25kmほどというから、白金とそう変わらない距離である。千葉は奥深い。
混んでいるかとおもいきや、そうでもなかった。砂浜では家族連れがやどかりをつついたり、クラゲを捕獲したりしていた。《くんくん》も靴を脱いでズボンを膝までまくりあげ、波打ち際で遊びはじめた。
その間ぼくたちは、石で組まれた突堤の上に腰かけて、ぼんやり海をながめていた。
南風悪天候といった条件によっては、この上空を羽田へ着陸するために進入する旅客機がひっきりなしに飛ぶことがあるのだが、この日は穏やかに晴れていたためか、このルートはつかわれていないようだった。稲毛の浜はただひたすら穏やかだった。
沖にたくさんのヨットがでており、千葉港から時折貨物船が出航してゆく。《くんくん》たちの遊んでいるすぐ先の海面で、ときどき魚が跳ねた。跳ねると魚体が銀色に光るのだった。
2時間近くそうしてすごしたあと、園内にある記念館を二つ見学した。どちらの記念館も無料である。
まず稲毛記念館を見た。かつての稲毛海岸や、埋め立てにかんする展示がなされている。
稲毛の浜は日本初の人工の砂浜だ。いったん埋め立てたあとにわざわざ砂浜を構築するというのは倒錯的であるような気もするが、テクノロジー社会とはそういうものであろう。
埋め立て以前、このあたりは遠浅の海だった。そのころのようすを椎名誠の初期の作品で読んだことがある。
しかし、ゆかりの文学者を紹介する展示パネルに椎名誠の名前はなかった(あってもいいのに)。そこに記されていた大半は、白樺派などといった大正から昭和初期の文学者たちだった。パネルをながめていた《くんくん》が「ひとりとして名前を知らない」と苦笑いした。
すぐ近くに、稲毛民間航空記念館がある。こちらには、初期の民間航空機の「鳳号」の復元が展示されている。
航空の黎明期はいまから百年ほど前のことだ。日本への導入は軍部中心におこなわれたが、そこからスピンアウトしたような形で、民間人の活躍もあった。そうした民間航空の拠点が、当時の稲毛だったという。
写真を見ると、現在のR14のすぐ南に海岸線があり、そこに海水浴客向けの涼み台がならび、それらとともに格納庫がある。干潟を滑走路として活用していたようだ。
初期の民間航空がどのように成り立っていたかというと、各地で有料の飛行展示会をひらいていたのだという。つまり、飛行機というテクノロジーによって空を飛ぶという行為そのものが「見世物(アトラクション)」になっていたわけだ。初期映画と同じ図式である。
展示内容はさっぱりしたものであるが、個人的には興味深いものだった。