往路はこちら。
新潟での用事を終えた翌朝0730に出発。R402で海沿いを柏崎まで南下した。
写真は新潟大学の裏手あたり。飛び砂がひどい。中央線のあたりや路肩には砂が積もっている。バイクにとって浮き砂は大敵のひとつだ。うっかり踏むと転倒しかねない。
中止になった巻原発の旧用地のあたりをすぎ、信濃川の河口をわたると寺泊だ。観光魚市場の前をとおりすぎ、しばらく行ったところにあった山田海岸で休憩した。水平線の上に佐渡の島影が見えた。
このあと柏崎刈羽原発に行ったわけだが、その話はすでに書いたとおり。
さて柏崎からはR353を南下してゆく。
途中までは快走路。高柳町石黒という集落から先は狭路となる。路面に濡れ落ち葉が堆積している。スリップに注意。
交通量はほとんどなし。トラクターに出会った。
寺田という集落のあたりでWを停めた。
このあたりはあちこちに棚田が見られる。うつくしい風景である。しかし棚田の維持にはひじょうな労力がかかるのだという。昨秋、能登半島の千枚田でたまたま知りあった現地ガイドのひとから、そんな話をずいぶん教えてもらった。
さらに南下し、津南でR117に入ってしばらく西へ向かうと長野県に入った。道の駅さかえで休憩。
ここで天ざるをたべた。揚げたての天ぷらがおいしかった。地物の野菜果物をうっていた。紅玉と秋山郷名物の栃の実まんじゅうなどを買い、シートバッグに押し込んだ。
志賀高原の渋峠を向かうつもりだ。それには、R405の秋山郷から奥志賀林道(長野県道502)を抜けてゆくルートが早くてたのしい。だが今回は通行止めだった。途中の雑魚川林道はもとより、奥志賀林道にも不通箇所があるらしい。野沢温泉や馬曲温泉からあがっていったとしても、肝心の奥志賀林道が通行止めでは駄目だろう。渋峠へは、おとなしく湯田中からR292で登っていったほうがよさそうだ。
飯山で北陸新幹線の高架の下をくぐり、中野市内でR292に入った。
正面に笠ヶ岳のまるっこい山容が見えた。天候は大丈夫だろうと踏み、予定どおり渋峠を越えてゆくことにした。
志賀高原の琵琶池付近。紅葉はやや枯れぎみ。すでにピークをすぎてしまっていたらしかった。
熊ノ湯から横手山の山腹を登ってゆく。いつもなら多くのバイクとすれちがうのに、きょうはほとんど来ない。なぜだ?
気温3度。寒い。グリップヒーターにしがみつく。
渋峠に到着した。路肩にうっすら雪が積もっている。どうりでほとんどバイクの姿を見かけないわけだ。
電光掲示板が「路面凍結の怖れあり」と警告する。視界10mもきかないガスのなかを、そろそろとくだってゆく。
ふだんは混雑する国道最高地点の碑のある場所も、すっかりガスのなか。さすがに、だれもいなかった。
白根山をすぎ、殺生河原をすぎても、まだガスは晴れない。前をゆく観光バスが道をふさぎ、終始スローペース。けっきょく視界が晴れたのは、草津の手前まで降りてきてからであった。
道の駅草津で、ホット・ミルクティーで一息つく。電光掲示板によれば、気温9度だ。
さらに南下し、長野原からR145に入った。旧道を走る。学校帰りの小学生たちが、歩道を跳びはねながら歩いていた。
頭上を高速道路のようなバイパスがとおっている。八ッ場ダム建設の関係もあって建設されたものなのだろう。おかげで旧道は交通量がほとんどなく静かだ。道としても、バイパスよりはこちらのほうが走りがいがある。Wもそうおもっていたにちがいない。
がらんとした川原湯温泉前を通過。谷底ゆえに、薄暗くなるのも早い。
松谷発電所をすぎたところでバイパスと合流した。
日が暮れた。群馬原町からは群馬県道35を渋川めざして快走。渋川伊香保ICから関越自動車道にのった。
駒寄PAで確認すると、練馬から先、外環の戸田西あたりまで渋滞しているらしい。高崎から北関東自動車道経由で東北自動車道をまわってゆくことにした。15kmほど遠回りになるが、関越出口から外環までの渋滞を回避できれば、結果的には早いかもしれない。
スクリーンのないWでの高速道路走行はただでさえ風圧とのたたかいである。おまけに夜になって気温がさらに下がり、寒くてたまらなかった。
だが遠回りしたおかげで渋滞には遭うことなく、ぶじに帰ることができた。旅の総走行距離は874kmだった。
おわり。