マラッカの話の最終回です。
街中を歩く。マラッカ市街の雰囲気は、なんとなくリスボンのそれと似ている気がした。ポルトガルに支配された歴史をもつとはいえ、もちろん両者の街並みはずいぶんちがう。だがなぜか、そんな気がしてしまうのだった。
リスボンにはチャイナタウンはなかったとおもうのだが、マラッカはむろんそれが旧市街の中心部を構成している。
ショップハウスとよばれる長屋形式の商店が、通りの両端につらなっている。
観光客向けの店もあって、にぎわっているように見えるが、よく見るとけっこう空き家もある。
チャイナタウンのはずれに、こんな像をかまえた建物があった。ボディビルのスタジオか何かなのだろうか。どういう趣味なのだか。
古いカローラがいた。相当の年季のものだが、現役のようだ。いったい何年製なのだろう。型からすると、1970年代のものとおもわれるのだが。
路上の屋台で、サトウキビ・ジュースをのんだ。
注文すると、おじさんがその場でサトウキビを一本絞ってくれる。氷は? と訊かれるので、入れてくださいと頼む。甘くて、少し青味があった。おいしい。
街路を一本入ると、路上に屋台村がでていた。”Teppanyaki” と看板をかかげた屋台がある。台湾系なのだろうか。
呼びこみに吸い寄せられるようにして、一軒の屋台に入った。魚鮫麺の店だ。魚鮫麺(ヒーキャオミー)とは、魚肉練り製品のはいった麺のことのようである。Fishball Noodleと英語でも併記してあった。
屋台は気のいいおじさんがやっていた。麺は、黄色い太めの麺と、白い米粉の麺から選ぶ。前者を選ぶ。飲み物は何にすると訊かれたので、お茶を注文する。例によって、甘いお茶である。麺がRM3.5だっただろうか。お茶とあわせてRM5だった。
ちゃんと店舗をかまえた店に入ったこともあった。マコタ・パレードとダタラン・パラワンのあいだの通りをずっと南に歩いていったところに一軒の中華料理屋があった。「粥家村 Porridge House」と書かれていた。ほかの店にくらべて、明らかに繁盛しているようだったので、ひとりで入ってみた。
小さなお店だったが、高級店のように、料理を運ぶ係と注文をとる係が分業しているらしかった。
特段にめずらしいものではなくて恐縮なのだが、ここでは炒飯と鶏の唐揚げをたべた。炒飯は大中小とあって選ぶことができる。小にしたが、かなりの量があった。そして、どちらもとてもおいしかった。ただし唐揚げに散らしてあったパクチーはたべなかった。ちょっと苦手なのだ。
これはサンドイッチ。といっても、ジャムみたいなものが食パンに塗ってあるだけ。マラッカ・セントラルのバスターミナルにでていた売店で買ったもの。味は、まあふつう。店番をしていたのは、中学に入りたてくらいといった感じの幼い少女だった。
そういえば、オランダ広場の脇に、こんなバスが停まっていたことがあった。
右後方の側面がおもいきり破損している。事故にあったようだ。数時間後に再びここをとおりかかったときには、すでにこのバスの姿はなかった。
そのさらに近くで、少年たちがスケボーをやっていた。順々に滑走していき、さいごに残った男の子に、写真を撮らせてもらっていいかと訊ねると、恥ずかしそうにうなづいた。
少年はそのままスケボーで坂を走っていった。坂を下りきったところで、こちらをふりかえり、右手を大きくあげてみせた。ぼくもそれに応えた。
少年はまた向きをもとに変えると、先に行った友人たちのあとを追いかけていった。
おわり。