日航123便が墜落してから今日で29年たつ。亡くなった方々とご遺族に、あらためて哀悼の意を表したい。
ところで、先日のベンヤミンの墓参のために乗ったのは、カタール航空だった。ここをつかうのは初めてだ。この時期にしては格安だった。なにせサーチャージと諸税込みで、8万5500円である。金額だけなら、東京から九州や沖縄の離島を往復するのと、たいして変わらないのではないか。
羽田からドーハへ飛び、長い待ち時間をへて、バルセロナ行きに乗り継いだ。機はアラビア海を北上し、そのままイラク上空に差しかかった。
大きな河口が見えた。チグリス・ユーフラテス川の河口らしい。世界史の教科書には必ず出てくる、アレである。
予想外だったのは、飛行ルートだった。バスラ、バグダッド、キルクーク、モースルと、現在もつづく内戦(といっていいのか?)の戦場の上空を、淡々と北上してゆくのである。
おそらく地上のあちこちでは、そのときも戦闘がおこなわれていたのだろう。
ふだん国際線では通路側に坐るのだが、このときは窓際の座席だった。窓から地上を見るかぎり、戦争というようなようすはまったくうかがえなかった。灰褐色の沙漠が延々とひろがり、ところどころに集落が点在し、それらを縫うように道路が走っている。それだけだった。
地上で紛争がおきている、ちょうどその上空一万メートルを、平和なひとびとを載せた旅客機が飛ぶという状況が、奇妙に感じられた。しかし現実には、武力衝突がおきている紛争地域の上空を、国際線旅客機が往来していることは、ちっとも珍しくないことなのだろう。じじつ、反航したり別の方角へ飛び去っていったりする旅客機を、幾度となく見かけた。
だとすれば、ウクライナでマレーシア航空機が撃墜された先日のあの事件のような悲劇は、いつまた起きても不思議ではない、ということなのかもしれない(ちなみに、カタール航空はウクライナ上空は飛びませんと宣言している)。
帰路は南寄りのルートだった。サルディーニャ島を横断し、イタリア半島の長靴の先をかすめてアドリア海を横ぎって、トルコの南海岸沿いを飛んだのち、シリア上空を横断する。いうまでもなく、ここも内戦状態にある。
ちょうど日没のタイミングであった。夕陽が翼と地平線を黄金色に染めあげる。空はこんなにうつくしいというのに。
やがてイラクへ入った。シートモニターに表示しっぱなしにしていたナビの画像を撮影してみた。
暗い地上には、ところどころ光の点が集まっている場所が見える。街なのだろう。
イラクを北から南へ縦断し、アラビア海へ出た。すると、右手に、全体がまばゆいばかりに光り輝く半島が見えた。クウェートだった。湾岸戦争の直接のきっかけは、当時のフセイン・イラクによるクウェート侵攻であったことを思い出した。
その煌々とした明るさは、ついさっきまで見えていたイラク領土内の暗さと否応なく対比させてしまうものであり、そして複雑な気持ちをいだかせるものであった。