英語でレクチャーした

一時帰国を終えて、成田からシカゴ・オヘア空港に着いた。冷たい雨が降っていた。到着直前の機内アナウンスによれば気温は摂氏10度。たしかにフリースをはおっても寒かった。ホテルの駐車場で預けてあった愛車Fitを拾い、アナーバーまで260mile(約400km)を走って帰った。

シカゴ市内は渋滞がひどかった。イリノイ州からインディアナ州へと抜けるころには猛烈に雨が降りはじめ、前が見えないほどだった。ミシガン州に入るとタイムゾーンをまたぎ東部時間となる。その瞬間iPhoneの時計はきっちり一時間すすんだ(運転中グーグルマップをナビとしてつかっている)。このあたりまで来ると交通量も減って、州間高速道路 I-94は走りやすく、シカゴからノンストップで4時間半でアナーバーに帰り着いた。

二週間前までは、昼間は華氏80度(30引いて2で割ると、ざっくり摂氏に換算できる)になるくらいで、Tシャツにサンダルで過ごしていたのが嘘のような寒さだった。いまやすっかり紅葉がすすんで葉が散り、むしろ晩秋とか初冬といった趣である。

翌日の夕方、レクチャーをした。”Reading/Creating Moving Images: From Tokyo Disneyland till Digital Storytelling” というのが演目だ。

導入部では『シン・ゴジラ』や『君の名は。』などの映像を見せ、聖地巡礼現象などについても触れつつ、現代の社会が人類史上かつてありえなかった規模でイメージが氾濫する社会だということを確認した。そのうえで、そのなかでイメージがぼくたちのアイデンティティをめぐる力学にどうかかわっているかについて、「読み解く」ことと「つくってみる」ことの二面から検討してみる、というのが話の本体である。

メインの素材は二つ。東京ディズニーリゾート30周年CMと、10年以上にわたって地道に学生たちとつづけてきたデジタル・ストリーテリング・プロジェクトの作品だ。どちらも個別には日本語で何度か話をしたことがあるが、両方を組み合わせて、アイデンティティの問題とからめて人前でまとまって話したのはこれが初めてだった。

なお、ディズニーのほうは前はYouTubeのTDR公式チャンネルにあったとおもうのだが、いまは削除されたみたいである。どなたかがアップロードしたものは見られるようなので、気になる方はそちらでごらんください。

どちらの作品も(当然ながら)日本語のため、発表用に準備が必要だった。ディズニーのCMはほとんど台詞がないのでさほど問題ないのだが、学生がつくったストーリーテリング作品はどれも2分間ずっと日本語のナレーションが入っている。やむなく一本だけ選び(珠玉中の珠玉のひとつ『あすかとおじいちゃん』)、ぼくが英語字幕をつけることにした(作業は一時帰国中におこなった)。さらに念のために英語のトランススクリプトも配布した。上映したとき、笑ってほしい場面でみなちゃんと笑ってくれたので、ひと安心。

全体としても、参加者、とくに若い女子学生みたいなひとたちの反応は予想以上によく、終わったあと何人も直接声をかけにきてくれた。じつはぼくは途中の時点で、まずまずうまくいっているんだなと確信していた。というのも、いちばんうしろに座っていたコーディネータの方が身を乗りだすようにして聴いてくれている姿を目にしたからだった。

個人的な収穫をあげるとすれば、一時間半のレクチャーを英語でひとりでやってのけたことである。即興で笑いをとることもできたし。

ちょっと誇張した言い方になるけれど、今回ぼくは、本来なら日本語がわからなければ聞けないような話を(親切にも)英語で聞くことができる機会を提供してあげているんだ、くらいの気持ちで臨んだ。ぼくのばあい話すべきテーマは山ほどあり、ポイントもはっきりつかめている。英語は怪しいかもしれないが、そもそも思考や知性に不足があるとはまったくおもっていない。

だから、流暢からはほど遠い英語でも、内容をしっかりと持たせ、それを英語圏のひとたちに理解しやすいようにある種の割り切りとともに整理して、じぶんが扱える範囲の単語とシンプルな構文でゆっくり話せば、なんとかなるだろうとおもった。じっさい、そうだった。レクチャーやプレゼンテーションは、ふつうの会話とはちがい、じぶんが話さなければならないプレシャーはある反面、ある程度じぶん自身で場をコントロールできるというプラスの面もある。

そうはいっても、一定の英語力が必要なのも事実だ。とくに英語のスピーキングとリスニングについてはこの半年、ぼく自身もそれなりに努力してきたつもりだけれど、アナーバーでいい先生や友だちに恵まれたことが大きな助けになったとおもう。

もちろん最大の収穫は、参加者のみなさんがおもしろがって聴いてくれたという手応えを感じられたことだ。ぼくがこれまで日本の文化や社会を対象に考えてきたり取り組んできたりしたことは広く通用するし、幅広く貢献しうるということなのだろう。勝手にそうおもうことにする。貴重な機会を与えていただき感謝しています。

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