2019年のノーベル平和賞がエチオピアのアビー・アハメド首相におくられた。隣国エリトリアと紛争を平和的に解決し、地域の安定化に寄与したことが、受賞の最大の理由なのだという。
エチオピアはよく知られている。いっぽう、エリトリアとはどんな国なのか。恥ずかしながら、ぼくは数年前まで名前すら知らなかった。
エリトリア (Eritrea) という国を知る機会を得たのは、アナーバーに住みはじめたばかりのころだった。たまたま乗ったUberの運転手さんが、エリトリアから難民としてアメリカへわたってきたひとだったのだ。
UberやLyftや、あるいはふつうのタクシーでも、乗ればたいてい運転手さんと話をすることになる。かれらも客と話すのを愉しみにしている節がある。このときも、そうだった。
バックシートに乗り込んだぼくに、運転手さんは「どこから来た?」と訊いた。20代の終わりくらいの男性。おだやかな話し方をするひとだった。「東京から」と、ぼくが答えた。
すると運転手さんは「おれは、エリトリアだ」と言った。「エリトリアって知ってるかい?」
それから、かれは、およそつぎのようなことを語った。
エリトリアを知らない? 無理もない。東アフリカにあるちいさな国だ。1991年にエチオピアから独立したばかりの若い国なんだが(1993年に承認=筆者註)、独裁政権による支配が長くつづいている。ろくな産業はなく、みな貧しい。なのに戦争ばかり。若者は軍隊に駆りだされる。おれも軍隊に入れられ、三年働いた。
ある日、海辺でボートを見つけた。そのとき国を抜けだす決心がついた。ボートに乗って沖へ漕ぎだした。必死で紅海をわたった。なんとか対岸のサウジアラビアに流れ着くことができた。
おれと同じように、国を脱出しようとしたひとたちはたくさんいる。だが、みんなが成功するわけじゃない。おれはただ幸運だったんだ。
——そうして、かれは難民として、アメリカへやってきたのだという。
あとでちょっと調べてみたら、エリトリアでは一党独裁制がつづき、「アフリカの北朝鮮」とよばれるほど抑圧的な政治体制なのだという。それが要因となって、大量の難民を産みだしているのだそうだ。かれも、そのひとりだった。
「日本か。すばらしいところなんだろうな。いつか行ってみたい」運転手さんはしきりとそう言った。「ぜひ来てください」とぼくは答えた。
目的地に着いた。握手をして、ぼくはクルマを降りた。