その気になればいつでもできる状況にありそうなものだが、首相はなかなか踏みきろうとしない。特措法にもとづく緊急事態宣言のことだ。
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染がとめどなく拡大をつづけている。報道される状況は日々悪化している。緊急事態宣言を発しようとおもえばできる状況にあるように見えるが、首相は慎重な姿勢を崩していない。
昨日の専門家会議のメンバーによる記者会見では、医療崩壊は、一般に考えられているように感染爆発が発生することによって引き起こされるのではなく、感染爆発に先立って発生するのだという説明があった。暗に、というよりは、かなりはっきりと、緊急事態宣言の発出を促す発言だったようにおもわれる。日本医師会にいたっては、「医療危機的状況宣言」という言葉をこしらえ(たぶん)、ノーベル賞受賞者の本庶佑先生の名前まで引き合いにだして権威づけしつつ、医療現場の窮状を訴えたらしい(ただし日本医師会のウェブサイトには記載がない)。別のノーベル賞受賞者である山中伸弥先生も、感染防止策の必要性を訴えられたようだ。医療や疫学の専門家たちの総意は、緊急事態宣言の発出を要望していると見なしてよさそうである。
ふしぎなのは、首相である。周囲からここまで督促されているにもかかわらず、出てきた施策は布マスク2枚の配布だけ。専門家たちの意見を踏まえると述べていたはずだが、どうすればマスクにつながるのか。
断っておくが、昨日も書いたように、ぼくは緊急事態宣言の発出に賛成する者ではない。多くのひとが期待するような効果が期待できない一方で、問題点のほうが多いからだ。
だが、ぼく個人の考えはそれとして、この首相の煮えきらなさは、意外である。かれは今回、早々に特措法を改正して、いつでも緊急事態宣言を発する準備を整えた。機会がくればよろこんで発出しそうなものなのに。
なにか理由なり事情なりがあるのだろうか。当人たちは「まだその状況にない」をくりかえすばかりで、理由説明がまったくない。そこで、勝手に理由を考えてみた。
誰でも思いつくのが、日本経済への影響を考えて、経済界へ忖度しているのではないかということだ。でも、そんなのは当たり前すぎてつまらない。それ以外の可能性はないか。
すると、こんな記事を見つけた。たいへんおもしろい。
この記事の主張は、財務省への影響力を首相はすでに失っているため、身動きがとれないのではないかという点にある。さもありなん。たしかに、自粛を要請しながら補償についてはまともな方策が示されてこなかったし、消費税の一時的な減税も早々に否定した。それもこれも、財務省をコントロールできていないがゆえだと考えれば、合点がゆく。
この見立てを少し角度をかえて眺めると、財務省黒幕説、ということになる。森友問題のこともあるので納得感はある。そして、事実そうなのかもしれない。ただ、かりに財務省が黒幕で首相の言うことを聞き入れない状態であったとしても、首相にまったく手がないともおもえない。その気になれば、できることはまだあるはずだ。それでも、首相は動かない。動くことを拒絶しているようにさえ見える。
そこで、こんな可能性もあるのではないかと妄想してみた。単純なことだ。
首相は勇ましく威勢のいいことが大好きなタイプであるとお見受けする。特措法の改正に熱心だったのも、その一環であろう。ところが、いまかれは、せっかく手にした緊急事態宣言発令という権限を行使できる機会に居合わせながら、二の足を踏んでいる。「アベノマスク」のような予想の斜め上的な話がポッとでてくるところからして、なにか下々のぼくたちには計り知れない深謀遠慮が隠されている、ということではなさそうだ。
だとすると、理由はじつは、あんがい単純な次元にあるのかもしれない。すなわち、ただたんに大きな決断を下す胆力がなく、思考停止となっているのではないか。いざ本番というときになったとたん、その決断がもつ影響力の計り知れない大きさに怖くなり、決断がじぶんに跳ね返ってくる様を想像して、足が震えてしまっているのだ。ようは、びびって放心している、ということである。
思い起こされるのは、大岡昇平の戦争小説群である。記録文学『レイテ戦記』や、大岡自身の従軍経験を描いた『俘虜記』や『ミンドロ島ふたたび』などはぼくの愛読書であるが、そこには、ふだん威勢のいいことを言っている声の大きな者にかぎって、いざ戦闘が開始されると、足がすくんで放心してしまい、まるで役に立たないことが、再三描かれている。
もしそうだとすれば、そのことは、首相の実像もまた、かれの自己愛が描く「卓越したリーダー」という自画像からはほど遠く、ぼくたちと同じひとりの凡庸なおっさんにすぎないことを示している。かりにぼくが、いまの首相と同じ立場にたたされたなら、まちがいなく、びびって漏らして、へたり込んでいるだろう。
困ったことに、その凡庸なおっさんが、いまや決定的に大きな権限を手中に収めている。
さて、ぼくが、頼まれてもいないのに勝手に首相や政府にアドバイスするとしたら、ひとつだけだ。すなわち、もっと具体的な情報を、できるだけ多く出せ。
いまもさまざまな言がネットを飛び交っているのは、多くのひとがかかえる不安が極大化しているからだ。上にぼくが書き散らしたような憶測・妄想・妄言がつぎつぎとあらわれるのは、政府がだす情報が乏しく、意見や判断だけを述べて、根拠となる事実の提示や説明が希薄だからである。
たとえば、かりに首相がいうように、いまは緊急事態宣言を発出する状況にないというのであれば、どのような状況になれば発出するのか、その条件をあらかじめ示すことだ。具体的な根拠とともに。もともと法令上の緊急事態宣言の発出条件は曖昧なので、今回については以下の条件を満たせば発令するという形で広く示すことは必要なことだ。さすれば、多くのひとがそれを目安にできるし、流言蜚語の幾分かを抑制することにもつながるだろう。
発令時に説明するのではなく事前に周知するのがよいとぼくは考えるが、それでは「スピード感」(首相の言葉)がないという反対意見があるかもしれない。だが、すでに「スピード感」でもって人心を引き締めるような効力が発揮されうるタイミングは失している。情報と説明の不足は、不安のいたずらな増大を招くだけだ。
3.11のときに、時の民主党政権は「ただちに影響はない」をくりかえすばかりで、政府が得ている情報を広く共有しようとしなかった。その帰結がどういうことになったかは、誰もが知っている。いまの首相はこれまで、あのときの民主党政権のことをぼろくそにけなしてきた。その首相が、他者の失敗をただあしざまに貶めるだけでなく、そこから何を学んだのかは、現今のみずからの行状によって余すところなく示されることになるだろう。
その後その2も書きました。