「間違い」をめぐる二つの制度——トランプの言動から考える権力の分散と集中 1

ラファイエット広場側から見たホワイトハウス(著者撮影、2017年12月)

トランプの連邦軍投入発言

トランプ大統領の言動が、中国共産党のそれに似てきた。

全米にひろがるBlack Lives Matterの抗議活動をめぐって、先週トランプは、「法と秩序の大統領として」連邦軍を投入すると言いだし、実際に連邦軍を首都近郊に1600人規模の陸軍部隊を待機させる事態となった。そして実際に、ホワイトハウス北側にあるラファイエット広場にいた抗議者たちを、連邦公園警察をつかって催涙ガスとゴム弾で排除した。トランプが近くの教会まで歩いて行って写真撮影をするというパフォーマンスのために。

トランプの「脅迫」はけっきょく現実化することなく、「脅迫」のまま後退した。それまでトランプのイエスマンとみられていたエスパー国防長官が反対の声明を発し、マティス前国防長官が異例ともいえる形でかつて仕えた大統領を批判した。エスパーは6月4日、軍の抗議者にたいする火器の携行を禁じ、待機中の陸軍部隊に撤収を命じた。翌日には、トランプ自身がそれを命じた形にした。そうしないと恰好がつかなかったのだろう。トランプは 7日、首都の州兵も撤収させると発表した。

ミラーゲーム化する米中

しかし、トランプが、政権に異を唱える抗議者にたいし武力で抑えつけようと「脅迫」したことは事実だ。そして、そのようなトランプの言動は、対立しているはずの中国における共産党のそれの、ほとんど鏡像である。

いまの米中両国の様相は、あたかもミラーゲームのようだ。

「ミラーゲーム」とは、サッカーでつかわれる用語であり、同じフォーメーション・戦術を採用するチームどうしの試合のことをいう。

もっとも、サッカーのミラーゲームは見応えのある好ゲームが期待されるのにたいし、米中二大国の政治的ミラーゲームは、むしろその逆となる可能性のほうが高いとおもわれる。

最高権力者の個人的資質

対立しているはずの米中両者の言動がシンクロし、ミラーゲーム化してきたのはなぜだろうか。

その要因のひとつとして、どちらも現在の最高権力者の個人的資質がよく似ていることがあげられよう。自己愛が極度に肥大化した人物という意味で、だ。こんな社会を築いてゆきたいという当人なりの目標があり、それを実現するために政治家として仕事をしている、というのではない。そうではなく、この国(あるいは世界)を意のままに操ることができる立場を手に入れること自体が目的化している、ということである。

自己にしか関心がないのだから、口でなんと言おうとも、かれらにとって大事なのはおのれを満足させることであり、国やら国民やらは、すべて自身の独善的なナルシシズムに奉仕するべき手段でしかない。国民を統合するなどという面倒なことには興味がなく、逆に、国の内外に適当に「敵」をつくりだしては、分断をあおる。そのほうが、てっとり早く支持を固められるから。異論や反対意見は、切り捨てるか、抑えつける。

自己愛の肥大化した指導者はじぶんを大きく見せることに腐心するため、政治的にはどこかで必ず行き詰まる。行き詰まりを本質的に打開するビジョンも手立ても気概も、もちあわせていない。そこで、それまでと同じやり方をよりいっそうエスカレートさせる。誰かを「敵」に仕立てあげて攻撃したり、「テロ」などと決めつけて力でもって抑え込もうとしたりする。

今回のトランプは、まさにこの状態だった。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)への対応で失策に失策を重ね、かねてから濃厚に疑われていた無能さがあられもなく露呈され、再選が危うくなってきたところへ、黒人差別にたいする抗議活動が燎原の火のごとく全米に拡がった。トランプにとっては恐怖であったろう。だから地下壕へ逃げ込んだのだ。武力の導入を口走ったのも、「マッチョ」を演出する手段というだけでなく、それ以外の手を思いつかなかったためだろう。

その2へつづく。

「間違い」をめぐる二つの制度——トランプの言動から考える権力の分散と集中 2
その1からのつづき。もしトランプの連邦軍投入が現実化していたら?もし万が一にも、トランプが連邦軍を私兵のようにつかい、自国民である抗議者たちに向けて使用していたとしたら、どうなっていただろう?軍の権威は失墜...
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