ポルボウへ行ってきた。ベンヤミンのお墓参りのためである。
ベンヤミンのお墓は、街はずれの丘の上、海をのぞむ共同墓地のなかにあった。
自然石をつかった墓標がたっている。ベンヤミンのお墓だ。ケルンのように、小石が積みあげられていた。
ただし、ここにあるのは墓標だけだ。ベンヤミンの遺骸が埋められているわけではない。
もともとベンヤミンのお墓は、別の場所にあった。
ここの共同墓地は、集合住宅のような恰好をしている。一画ごとに棺が収められ、区画ごとに番号が振られている。その563番に、かつてベンヤミンの遺骸は収められていた。
写真にあるとおり、しかし、いまは別人が眠っている。
共同墓地の前には、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァンによる作品「パサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」がある。
丘の上から東を望むと、眼下にポルボウのちいさな街と長大な駅舎、そしてピレネーの山々が見える。
そのピレネーを越える山道を、望外なことに、ぼくも実際に歩いてみることができた。いろいろと情報を得ることができたおかげだ。このルートは、74年前、ベンヤミンが、ナチスの追及をのがれるため、非合法的にスペインへ脱出するべく歩いた最後の道である。
ポルボウから鉄道でいったん国境を越えてフランスに入る。そこから歩いてピレネー山脈を越え、またスペインへ入り、ポルボウへ戻ってくる。
初めのうちは葡萄畑を抜けてゆく小径。やがて尾根にとりつき、本格的な山道となる。
道は、尾根沿いのような目立つところを避けて、山腹をトラバースしてゆく。なるべく目立たないようなルート、ということなのだろう。
上の写真を撮ったのは、国境までの最後の区間である。フランスとスペインを分かつ稜線が、右手の奧のほうに映っている。
駅からここまで、ゆっくり歩いて3時間ほど。さらに30-40分ほど歩いて、国境の稜線に到達した。
下の写真は、国境の稜線へ出たあと、ルートから一時はなれて登ってみたピークから撮ったもの(el cap de Cervera i les dues estacions frontereres という場所らしい)。ここには、石積みの古い砦が、崩れかかったまま遺されていた。
写真の中央に映っている尾根の稜線が国境で、左がフランス、右がスペイン。尾根の両側に見えるのは、両国の最末端の街だ。フランス側がセルベール、そしてスペイン側がポルボウである。
登山経験があり、天候が穏やかであれば、大きな問題があるルートではない。ただし、距離は長い。少なくとも15-6km、実際にはおそらくそれ以上を歩かなければならない。山中は完全な山道であり、それなりにハードな行程である。
当時ベンヤミンたち亡命者は、この道を、文字どおり命がけで歩いた。その労苦と心中の精神的負担は、想像を絶するものがある。
以上まずは簡単な報告まで。後日あらためて詳しくまとめるつもりです。