学校なんか嫌ならいくら休んでもかまわないとおもう──「いじめ」について

ディフェンダーで信号待ちをしていたときのことだ。目の前の横断歩道を、母と息子らしき二人が通りすぎていった。母は自転車に乗り、息子は中学の制服姿だった。顔立ちはそっくり。

ところが、雰囲気にはただならぬものが感じられた。母は思い詰めたような表情で前方を見つめ、ほかに視線を動かそうとしない。息子は暗い顔をしてうつむいたまま、とぼとぼと歩いている。しかも母の右手は、息子の左袖を強く握りしめていた。渋る息子を力づくで引っぱってゆくところ、のようにも見えた。午前9時半すぎ。ふつうの登校時刻ではない。

ここから先は、ぼくの妄想だ。もしかすると、あれは、登校を嫌がる息子を、母が無理やり連れだして学校へ送り届けようとしているところだったのではなかっただろうか。

ぼくはおもった。学校には一般論としては行ったほうがいいかもしれないし、勉強はまちがいなくしたほうがいい。けれど、もし学校へ行くのが嫌だというのなら、無理して登校させないほうがいいのじゃなかろうかと。学校なんて、無理して行ってもいいことなんかひとつもない。

いちばん大事なことは何なのかを考えてみよう。それは、学校にとにかく毎日登校することなんかではない。いろんな意味で、じぶん自身を保ち、これを育むことであるはずだ。じぶん自身の尊厳を損なうような代償を払ってまで行く価値がいまの(少なくともぼくが知るかぎりの日本の)学校にあるとは、ぼくにはおもえない。

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ぼくはその方面の専門家ではないので、あくまでじぶんの経験から言うだけである。学校へいくのが嫌なのは、やっぱりそれなりの理由があるからだろう。それを当事者がうまく言葉で説明できるかどうかは別として。そして学校は、しばしば嫌なところである。少なくとも、ぼくの経験では。

ぼくのばあい、とくに嫌だったのが、小学校の5-6年生のときだった。当時はあまりそういうふうに自己認識していなかったが、あとになって思い返すと、あれはいまでいう「いじめ」だった。

ぼくを「いじめ」の対象とした中心人物は、同級生ではなく、担任の教師だった。担任の教師は、当時40代くらいだったろうか。体育が専門の男性教師だった。ぼくは5年生の春にその小学校に転校してきて、かれのクラスに入った。たまたまなのだが、入った部活の顧問も、その教師だった。つまり、一日の大半を、その教師の下ですごすことになったのだ。

きびしいことで知られた教師だった。小学校なので、体育以外の教科もその教師が教えるわけだが、知識や知性のレベルでかなり難があったことは、小学生のぼくにさえわかった。たとえば、当時はやっていたピンクレディーについて、授業のなかで滔々とこんな説明をしたことがあった。「ピンクレディーは英語として誤りである、正しくは、ピンキーレディーとするべきである」と。アホだったのだ、ようするに。

そして、なにが原因かはよくわからないのだが、あるときから目をつけられはじめた。以後毎日かれにネチネチといじめられつづけた。6年生になるときにクラス替えがなかったため、それは卒業するまでつづいた。あまり詳しいことは、ここでは書かないけど。

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ぼくが一方的な被害者だったということを強調するつもりはない。ぼくのほうも、けっして扱いやすい生徒ではなかっただろうとはおもう。わかりやすく何かに秀でていたり、優等生的に聞き分けがよかったりしたわけではないし、むしろ理屈の通らないことや理解できないことは「空気」を読まずにそう言明したりしており、しかも思っていることを十分に言葉で表現するだけの言語能力がなかったりした。ただし、教師と生徒は対等ではなく、明らかに非対称的な関係にあることも考慮されるべきである。かれはそうした立場を十二分に活用して、学校生活全般のみならず、成績評価にいたるまで、きわめて権力的にふるまった。

それでも、当時からすでにぼくはどこか暢気だったのか、当該教師の行状を「いじめ」という言葉と結びつけてはいなかった。あとから「周囲」に言われて、そうだったかと思い至ったのだが、この暢気さは、当時精神的に踏みとどまるという点では、悪くなかったようにおもう。

とはいえ「いじめ」は伝染する。その「周囲」の同級生とて、積極的であれ消極的であれ、大半は「いじめ」の加担者であった。担任の教師の標的となっているような生徒にたいして、教師の態度をコピーしたような態度で接しようとする者も少なくなかった。

それでも、男女を問わず少数の何人かは、親切に接してくれた。いまでは名前も顔も忘れてしまったのだけれど、かれらには感謝している。だから、とりあえず中学にあがれば、ここから抜けられるだろうとおもうことができた。もっとも実際には、中学は中学でまた別の嫌な世界が待っていたわけだが。

学校社会というと、しばしば「大人たちの汚い世界」にたいする無垢な「アジール(避難所)」であるかのような思い込みが、いまでもどこかで根強く残っているようにもおもわれる。けれど、そんなことはまったくない。「いじめはいけません」とか「いじめをなくしましょう」というような題目をどれだけ唱えたところで、解消するはずがない。むしろより目立たない形で、よりめんどくさいふうに形を変えることで「いじめ」は進行し、社会の腐食を加速させるだけだろう。

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生徒たちが「いじめ」をするのは、大人たちがふだんから、そのようにふるまっているからだ。

ぼくはその後、編集者として仕事をするようになってからも、ネチネチとして陰湿なことをされたり言われたりする目に遭遇した。仕事であれば、日常においては無視してとりあわず、そのうえで結果でもって粉砕してやればよい。ぼくはそのように対してきた。

こうした経験から、こう考えるようになった。そうした陰湿でねちっこく他人に嫌がらせをするとき、ひとはおそらく、そうせずにはいられない衝動にかられているのだろう。その衝動を駆動しているものには、嫉妬や焦りや劣等感などいろいろあるだろうが、それらの根本にあるのは、まちがいなく「不安」である。

その「不安」は、現世的な利害にからむものというだけでなく、むしろ存在にかかわるより根深い「不安」だろう。自己を肯定的に捉えられず、自信がもてず、いつじぶんが誰かから「不要」とか「失格」といったダメだしの烙印を押されるか「不安」でたまらず、その「不安」の重みに堪えられずに怯えているのだ。そしてさらに、そうしたじぶん自身のあり方を直視できず、そこに向きあう勇気がもてないからでもある。

その弱さを転嫁するべく、じぶん以外の誰かに嫌がらせすることで、あたかもじぶんがまだ優位性を維持しているかのようにしてじぶん自身を欺き、自己がかかえる「不安」をごまかそうとする。それが「いじめ」とよばれる現象ではないだろうか。

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だとすれば、もし仮に「いじめ」がなくなる日がくるのだとしたら、それには二つの道筋がありうるということになる。

ひとつは、誰もが「不安」を感じずに済むような社会が到来したとき。もうひとつは、ひとりひとりがみずからの「不安」に向きあう術を手に入れたときである。

少なくとも後者についてなら、けっして実現不能な話ではないと、ぼくはおもうのだが。

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