事実の先の希望

首都圏のテレビでは福島第一原発の状況にかんする報道が続いている。放射線が健康にどのような影響を与えるかについては、昨日から東大病院の中川恵一先生を中心とした専門家チームがツイッターで情報を発信しはじめた。

専門家の話をぼくなりに総合すれば、少なくとも首都圏については大騒ぎするような状況にはないということのようだ。──とおもいたいのだが、予断を許さない状況はやはり続いているみたいである。たとえば武田邦彦先生のコメントを参照。福島原発での放射線そのものの拡がりというよりも、放射能をもった物質が風にのって飛散する怖れがあることが問題ということらしい。ただしこれらの記事もあくまで考えられる可能性を指摘しているだけだ。具体的な事実関係はよくわからないし、そもそも、ぼくのような素人には事態の評価のしようがない。

とはいえ『日本沈没』じゃあるまいし、首都圏全体がどこかへ避難することなど物理的に不可能である。一部には、日本に在留する自国民にたいして、首都圏から、もしくは日本からの退去を勧告する国があるという報道さえある。外国政府がそういうのは、まあ気持ちはわからないでもないし、そうしてくれていいのだが、少々ナーバスすぎるような気もしないでもない。

もちろん原発そのものの状況がまだ収束軌道に乗ったとはいえない以上、ぼくたちも、できる範囲で対策なり準備なりはしておく必要はあるのかもしれない。といっても、昨日も書いたように、福島原発の問題にかんしていえば、首都圏在住者に直接できることは、現時点ではそう多くはない。少なくとも、お店に駆け込んでパンやカップ麺やトイレットペーパーを山ほど買い込んでしまうようなことが、対策でも準備でもないことだけは明らかだ。

騒いでも何も始まらないはずなのだが、もしかすると、騒ぐこと自体が半ば目的化しているのかもしれない。首都圏のひとたちにとって、テレビなどで見る「遠方」の被害の話は一種のスペクタクルとして眺めていられた。原発の話がもちあがって初めて、直接じぶんの身にふりかかるという感情が湧いてきたものの、一方ではそれでもまだどこかで切実さを欠いたような感覚。熱狂とはそういうものかもしれない。あくまで想像上の話だが。

映画『アポロ13』で絶体絶命の危機が発生したとき、NASAの飛行管制室がパニックになる。そのとき、終始ずっと沈着冷静を貫くフライト・ディレクター(飛行計画責任者)のジーン・クランツ(エド・ハリスが演じていた)が、こんなことを言う。「Stay cool! (or calm)(落ち着け)」(あいにくぼくには英語の聞き分けはできていない。)

落ち着いているために不可欠なもののひとつが「事実」である。

被災した各地の避難所のなかには、十分な情報が行きわたっていないところも多いだろう。食糧や燃料などの物資も重要だが、事実、つまり現状がどうであるかを知らしめるということもまた重要である。そのような配慮をしていただければとおもう。

希望とは事実の先にしか見出せないものである。

 *公開直後にこまごま修正4回。初出時より題名変更(110316)

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