風紀委員と買い占め者 —— 9年目の自粛ムード社会

いわゆる「3.11」から9年経った。ぼくたちは再び「自粛ムード」が蔓延する社会のなかにいる。

問題にしたいのは、自粛それ自体というより、自粛ムードについてである。ここでいう「自粛ムード社会」とは、COVID-19(いわゆる新型コロナウイルス感染症)の拡大という状況を背景に、医学的・科学的な裏づけが必ずしも明らかでなく、どこまで実効性があるのか判然としないにもかかわらず、自粛の助長ばかりが自己目的化しているような「空気」のことだ。

誰も彼もが自粛を口にするのを聞いていると、9年前のことが思い出される。もちろん9年前といまとでは、状況はまるで異なる。しかしながら、地震や津波はともかく、原発事故とCOVID-19には共通する点もある。それは、相手(放射能にせよ新型コロナウイルスにせよ)が目に見えず、一般の人間にとっては、その挙動や特徴がよくわからないということだ。いきおい、不安や恐怖に根ざした想像力が立ち上がり、憶測や思い込みや空想をまじえた言説が飛び交い、混乱にいっそう拍車をかけることになる。

こうしたなかで、ひとがとりうる態度を極端な形で二つに類型化してみよう。「風紀委員」と「買い占め者」である。

まず「風紀委員」について。風紀委員型のひとたちは、じぶんの信じる規範を他者に押しつけ、他人を取り締まろうとするような言動パターンを示す。なんでもかんでもとにかく自粛しろ!と叫ぶだけでなく、直接関係のない他人の言動に口をはさむ。イベントを開催しようとする者を袋だたきにしたり、電車内でうっかり咳をしてしまったひとを厳しい目つきでにらんで威圧したりする。

なぜ風紀委員たちは、そうまでヒートアップしているのか。それは、ウイルスではなく、この自粛ムードという「空気」に感染しているためだろう。熱狂には、不安を押し隠すという効果がある。そして風紀委員とは、自粛ムードの重度の感染者なのだ。

風紀委員=自粛ムード感染者たちは、何かに熱狂する者の例に漏れず、かれらの規範が「正義」と信じて疑わない。何かを「正義」だと信奉することは、ひとつの規範を絶対視する一方で、それを相対化する視点を完全に失っている状態である。したがって、「正義」には権威が不可欠だ。風紀委員=自粛ムード感染者の「正義」に権威を提供しているのは、ほかならぬ政府が自粛要請を発しているという事実である。

風紀委員=自粛ムード感染者たちには、政府という権威の尻馬に載っかった同調圧力の強力な担い手という側面をもっている。政府の自粛要請は、建前は「要請」だが、実際には強い強制力を発揮する。そこには風紀委員=自粛ムード感染者たちの有形無形の加勢がある。主催者側もそのあたりを忖度して自粛する。学校は休校、卒業式や入学式は中止、ミュージアムやテーマパークは休園、演劇・音楽・スポーツなどのイベントも開催できる状況ではなくなった。在宅で勤務すべし、不要不急の外出や旅行は控えるように、という話も聞こえてくる。

こうした自粛にも、それによって感染の拡大が押しとどめられるというのなら、意義はあるといえる。さいわい、現時点での国内の状況は、他国のそれに比べれば、爆発的な感染拡大にいたることなく、その手前で踏みとどまっているように見える。関係者の努力の賜物であろう。

しかしながら、この状況に、実際問題として自粛がどれほど寄与しているのかという効果測定については、はっきりと示されていない。はっきりしているのは、自粛の大半が実効性のある形で計画・実行されているようには見えないということだ。

たとえば、突如として決まった小学校の一斉休校。そのあいだ児童はどこで預かるのか。自宅待機か学童で預かる方向で、という話が出ていたようだが、まるで現実的ではない。自宅はもちろん、学童でさえ、こういうときに学校の代替となるようにできていない。人的にも設備の面でも、大量の児童を終日受け入れられるような環境にはない。ろくな準備や手当もないまま丸投げされる現場はたまったものではないだろうし、学校よりも学童にいたほうが児童の感染防止に有効だとも考えにくい。それに、そもそも相対的に危険度が高いのは高齢者なのではなかったか。

逆の方向で考えてみる。もし年齢にかかわらず大勢がひとところに集まる機会をなくすことが感染拡大防止に有効だというのなら、休校やイベントの中止くらいの対応ではまったく手ぬるく中途半端であるといわねばなるまい。

げんに朝の通勤電車などいまだに混雑し、狭い空間のなかで大勢が長時間ひしめきあっている。いくら政府が思いつきのように在宅勤務の促進をぶち上げてみせても、現状では机上の空論に近い。すぐにテレワークを実施できる企業は限定的だし、そもそもあらゆる職種に在宅勤務を導入できるわけでもない。地域を封鎖するくらいのことをしなければ効果は期待できないのではないだろうか。しかしそれでは、ただでさえダダ下がりの国内経済の息の根を止めかねない。

けっきょく、自粛の実効性が明瞭にならないまま、ムードばかりが先行し、たがいに足を引っ張りあう場面が目についてしまう。むしろ政府の、というよりは現政権の「がんばってるアピール」に付きあわされている感が拭えない。そもそも突如としてぶち上げられた小中学校の一斉休校など、医療や教育の専門家の意見は考慮されておらず、首相の独断だったという。首相としては「決断とリーダーシップを発揮する」かのように演出する政治的パフォーマンスの好機と見たのかもしれない。

翻ってみれば、9年前に政権を担っていたのは、いまはなき民主党だった。いまの首相はこれまでことあるたびに旧民主党政権時代をあしざまにけなしてきた。旧民主党の政権運営は、たしかにきわめて稚拙で問題の多いものだった。あれから9年を経て、今回あらたな危機に直面している。そして、いまの政権もまた、かれらがぼろくそにけなしてきた旧民主党政権とじつは大差なかったことが露見しつつある。

それでもやはり権威は権威、長いものに巻かれるばかりか、みずから積極的に尻馬にのって自粛を他人に強要しようとするひとびとは、どんなときにも存在する。それが、風紀委員=自粛ムード感染者である。

では、もうひとつの類型、「買い占め者」たちはどうだろうか。かれらは、所詮「お上」は頼りにならないと見切っているひとたちだ。権威筋が何を言おうが面従腹背、本気では信じない。自己のかかえる不安と欲望に忠実に行動する。ここには、デマとわかっていてもなおトイレットペーパーを買い占めずにはいられないようなひとたちを含めていい。

風紀委員と買い占め者。どちらのタイプの態度も建設的とは言いにくい。それでもあえて言うならば、後者については、政府のような権威筋の言を、それが権威であるというだけでは容易に信じないという点において、まだ少しは健全だとおもう。

とはいうものの、トイレットペーパーが買えずに困っている身としては、買い占めはもうそろそろ止めてもらえるとありがたい。

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