映画『イン・ザ・ネイビー』

潜水艦もののコメディ。掘りだしものである。

当ブログ「散歩の思考」では、映画は映画館で観た作品だけをとりあげることを原則としているが、今回紹介する作品は例外だ。劇場未見、DVDで初めて観た。製作は1996年、日本でも公開されたらしいが、ほぼ地方での二本立て添え物扱いだったようだ。

そのときの邦題が『潜望鏡を上げろ』。原題は “Down Periscope” だから、本来は「さげろ」であろう。じつは1959年に同じ『潜望鏡を上げろ』(ゴードン・ダグラス監督)という作品があり、こちらの原題が “Up Periscope”。そのもじりである。

監督は『メジャーリーグ』のデイヴィッド・ウォード。主演はケルシー・グラマー。後頭部の地肌がのぞき、でっぷりお腹のつきだした、でっかい中年のおっさんである。テレビで活躍しているコメディアンで、映画はこれが初主演作らしい。

で、このグラマー演じるのが万年少佐ドッジである。有能さは海軍全体が認めるものの、変人奇人ぶりがたたって出世コースからはずれている。そのドッジが、突如として艦長に任命される。喜んだのも束の間、それは40年も前の旧式ディーゼル潜水艦スティングレイ号だった。上司にあたる二人の提督(それぞれ味方と敵方)がドッジに演習へ出よと命じる。旧式潜水艦で最新鋭のロサンゼルス級原潜をかわして米海軍軍港を攻略せよ。成功すれば、原潜艦長にしてやる、というのだ。

しかし集められた乗組員たちは、海軍の厄介者ばかり。どういうわけか若くてグラマラスな女性士官までいて、男ばかりの艦内はたちまち怪しくなる。ドッジ艦長は有象無象の曲者どもを掌握しつつ、旧式潜の特徴を逆手にとった奇抜な戦法で、追っ手の原潜を巧みにかわし、軍港へと迫る。──という、まあウォード監督の前作『メジャーリーグ』などでもおなじみの設定・プロットである。

潜水艦戦ではドッジ艦長の編みだす計略が炸裂し、危機を乗り越えるたびに、落ちこぼれ乗組員たちはしだいに結束してゆく。プロットはよく練られている。もちろん、どれもが類型的な「お約束」パターンなのだが、類型的なのが悪いわけではなく、その取捨選択と組み立て方、描き方がポイントだ。その点、本作品は手堅い。要所要所に過去の潜水艦もののパロディが配されていて笑わせられるが(副長や機関長、ソナー手、烹炊員あたりを注目するといい)、元ネタを知らなくても十分おもしろい。

なにより驚かされるのが、潜水艦の描写である。喜劇だからと舐めてはいけない。潤沢な予算を投入したはずの大作(にして大味な)『クリムゾン・タイド』あたりより、よっぽどしっかりしている。旧式潜スティングレイは、サンフランシスコに保存されている退役潜水艦パンパニートをつかっているそうだが、その使い方や見せ方もうまい。艦内はほぼセットだとおもわれるが、ディーゼル駆動の旧式潜と最新鋭の原潜との違いが鮮明に対比づけられる。水中の潜水艦の動きを見せるVFXの出来もよい。

物語設定上では、「ウォーゲーム」という枠組みが重要だ。台詞でも「ウォーゲーム」という言葉がつかわれているが、これは軍事用語でいう「演習」だけでなく、「戦争ごっこ」という意味もかけてあるだろう。「ごっこ」なのだから、誰も死んだり傷ついたりはしない。あくまで「ゲーム」なのだ。それがあらかじめ保証されているから、観客は安心したうえで、物語の展開に一喜一憂しつつ、笑って観ていられる。コメディというと軽くみられがちだが、それを支える構造はなかなか複雑である。

こうした作品が成り立ってしまうのも、たとえば『ペティコート作戦』や『底抜け艦隊』みたいに、ハリウッド映画のなかに軍隊コメディという系譜があるからだろう。高邁な思想を主張するようなタイプの作品ではないが、下手な大言壮語や、騎士道精神のようなロマン主義的妄想を見せられるよりも、よほど清々しい。でも日本じゃむずかしいだろうなあ。

しいて難点をあげれば、人物の描き方が弱いことだろう。奇人であるはずのドッジ少佐など、物語中盤以降はいたって有能な艦長になってしまう。曲者ぞろいの乗組員たちを見事に掌握してゆくし、艦が危機に直面すれば沈着冷静な対処を見せ、女性士官への気配りも忘れない。そして敵役の提督(ブルース・ダーンが愉しそうに演じている)には、ここぞという場面で啖呵を切る。あまりに立派すぎ。これじゃあ、よくあるただのアメリカン・ヒーローである。

ただし、ネットで見つけた粗筋と比べると、ぼくの観たDVDではいくつかのシークエンスが削られているようでもあり、その影響もあるのかもしれない。

なおビデオ化にあたって改題された邦題が示すように、クロージングには懐かしのヴィレッジ・ピープルが登場して「イン・ザ・ネイビー」をうたう。作中にあからさまにホモセクシャル的な場面はないけれど、そういえば軍隊、とりわけ潜水艦のような、長期間にわたる閉鎖空間にして文字どおり男ばかりの運命共同体は、少なくともホモソーシャルの温床ではある。

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